
散歩をする犬も落ち着かない様子でキョロキョロ、今は一番少ない庭の花の香りをかいでいました。


正月の墓参の坂を老姉妹(星野立子)
今年の初詣「大阪天王寺七坂巡り」のご紹介です。
今回歩いたコース

歩いた歩数:15250歩
歩いた距離:9.8km
歩いた時間:3時間56分(参拝、ランチタイム含む)
歩いた日:2014年1月1日
※地図のどこかをクリックすると@tripで確認することが出来ます。
(3Dでご覧の場合グーグルアースのインストールが必要です。)


※高津宮


※愛染堂・金堂(大阪府指定文化財)


※愛染堂多宝塔(国重要文化財)


※一心寺山門と仁王門
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2014年の初詣をどこにするか迷った挙句落語「崇徳院」に登場する「こうずさん・高津宮」に行くことにしました。
調べてみると高津宮の先には七坂という坂があるという事でそこを歩いて見る事にしました。手元の地図で数えるとこの七坂には70強のお寺が並んでいます。地図には高低差が掛かれていないので不明ですがこの区画は台地になっているようです。


浪速 高津宮
住所:大阪市中央区高津1丁目1番29号
電話:06-6762-1122

創建:866年(貞観8)初期清和天皇の勅命のよる
1583年(天正11)現在地に遷座。
大阪市歌
「高津宮の昔より代々栄えをかさねきて民のかまどに立つけむりのにぎわいにまさる大阪市・・・」と歌われている。
昭和二十年三月の第二次大戦の戦火を浴び神輿庫を一つ残して社殿ことごとく焼失しました。しかし戦後氏子を始め崇敬の厚い奉賛により昭和三十六年十月社殿以下ことごとく復興完成を見た。
神輿庫(大神輿2基、小神輿2基を格納):宝暦年間(1751〜1764年)より戦火をまぬがれて今に至る。
入り口の向拝の天井には瓦製の龍が眼光鋭くとぐろを巻いている。






高津宮の鳥居を潜り参道を進みます。チラホラと初詣に方がありますが大晦日からの喧騒が一休みした所のようです。広い境内はいろんな顔をもっていました。江戸時代にはこのあたりが梅の名所であり、上町台地からは名水が湧き出ていた、その「梅乃橋」「梅ノ井」などの説明版があります。橋の下を流れていたのは梅川で梅川を掘り広げて道頓堀を造ったともいわれている(??)ようです。
難波津に咲くやこの花冬ごもり 今は春べと咲くやこの花(王任博士)
また「五代目桂文枝師匠」の石碑は「桂春團治の筆」で記され、境内の冨亭で行われた落語会に欠かさず出席した師匠を偲ぶこともできます。そしてまた、「浄瑠璃研究の第一人者木谷蓬吟・千種顕彰碑」などもあり境内に文化の香りが漂う空間でした。

ちょうどこの「高津宮」の前で足を引きとめられました。
真言宗醍醜派 高津北向不動尊 報恩院
住所:大阪市中央区高津1丁目2-28
電話:06-6761-0543

創建:寛文年間(1661〜1673)
詠歌
まをふして くなんをすくふ ぐわんなれば ふどうのちかひ たかつきたむき




丁度1月1日で、大護摩供が行われていたのです。
このような生き難い世の中にあって大護摩供の太鼓の響きは人の心に思わずはいり込んできます。助けてもらいたい、すがりたい、そういう気持ちももちろんあるかもしれないけれど、新年に際して、皆苦しんでいるけれど弱音を吐かず歯を食いしばろうという力を湧き起こさせるような気がするのです。しばし足を止めて聴き入りました。





「冨亭」のマップは「真言坂」を経由しないので「七坂制覇」目標の方は鳥居の一本東の道から歩いて下さい。
真言坂

生國魂神社の神宮寺であった法案寺をはじめとする生玉十坊が、明治の廃仏毀釈まで神社周辺で栄えていた。うち、神社の北側には医王院・観音院・桜本院・新蔵院・遍照院・曼陀羅院の六坊があった。すべて真言宗であったので、この坂は真言坂とよばれた。


生国魂神社
難波大社(なにわのおおやしろ)、生玉(いくたま)さん
近松門左衛門の『生玉心中』『曽根崎心中』の舞台である。
住所:大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9

社格等:式内社(名神大)・官幣大社・別表神社
創建:伝・神武天皇年間(紀元前711年-紀元前585年)
本殿の様式:生国魂造
札所等:神仏霊場巡拝の道48番(大阪7番)
例祭:9月9日
神武東征の際に、神武天皇が難波碕(現在の上町台地)の先端に日本列島そのものの神である生島大神・足島大神を祀り、国家安泰を祈願したことに始まるという。
孝徳天皇即位前紀には、天皇が難波宮造営に際して北隣する「生國魂社の樹(木)」を切ったとある。延喜式神名帳には「難波坐生國咲國魂神社 二座」と記載され、名神大社に列している。
1496年(明応5年)に蓮如によって、のちに石山本願寺となる石山御坊の草庵が神域の一角に結ばれた。石山本願寺は豊臣期の大坂城の詰之丸に存在したとされ、当社の最初の鎮座地は豊臣期の詰之丸付近に相当する、現在の天守閣周辺ということになる。
1580年(天正8年)に石山合戦の戦火により焼失。
1583年(天正11年)には豊臣秀吉による大坂城築城に際して現在地への移転が決定された。秀吉は300石の社領を寄進して社殿を造営し、1585年(天正13年)に遷座された。このときに造営された社殿は「生国魂造」と呼ばれ、流造の屋根の正面の屋上に千鳥破風、唐破風さらにその上に千鳥破風と3重に破風を乗せるという独特の建築様式のものである。1615年(元和元年)には大坂夏の陣の兵火にかかったが、徳川秀忠によって再建され、これまで通り300石の社領が寄進された。
明治維新期の神仏分離によって神宮寺の法案寺(真言宗)を境外へ分離。
1912年(明治45年)1月のミナミの大火により焼失し、翌年再建。
1945年(昭和20年)3月の第1回大阪大空襲により焼失し、4年後に再建されるも1950年(昭和25年)9月のジェーン台風により倒壊。社殿喪失が相次いだこともあって、1956年(昭和31年)に鉄筋コンクリート造りで再建された。




坂を上りきった右手が神社です。境内は広く参拝の方が列をなしています。

出店の方は一度お家に帰られてまた、再度開店準備という方もありました。

曹洞宗 生魂山 齢延寺
住所:大阪市天王寺区生玉町13−31
電話:06-6772-0065

開基:義春
1623年現在地に移る。
志摩国領主稲葉家の菩提寺。
江戸時代は「齢延寺の彼岸桜」と呼ばれた桜の名所。いまも大樹古墓の多い風格のある寺として知られる。
境内には、幕末に私塾・泊園書院を興して活躍した儒者の藤澤東咳・南岳父子や、画家の鍋井克之、名刀鍛冶師の左行秀の墓がある。また、御方洪庵、斉藤方策と並ぶなにわの3名医のひとり・原老柳ゆかりの老柳観音には、病気平癒を願って訪れる参拝者が多い。


真新しい仁王が鎮座する山門、威風堂々としています。山門から入るとご家族で墓参に来られている大家族がありました。境内は最初見た門からも出入りできるので通り道の様になっています。綺麗なお寺さんでした。
源聖寺坂

住所:大阪市中央区 高津三丁目 14-11
この坂は登り口に源聖寺があるので、その名を取っている。付近一帯は、寺町として長い歴史を持つ。齢延寺には、幕末に泊園書院を興して活躍した藤沢東畡・同南岳父子の墓があり、銀山寺には、近松門左衛門の「心中宵庚申」にでてくるお千代、半兵衛の比翼塚が建てられている。


左手に「銀山寺」「金台寺」の白壁が見事に流れる坂道です。「金銀」という名前が何となく大阪らしく面白い感じです。


坂下の「金台寺」前が10時38分。北側に「源聖寺」がありました。
浄土宗 東栄山 源聖寺
阪新四十八願所阿弥陀巡礼 / 第45番
住所:大阪市天王寺区下寺町1丁目2番25号
電話:06-6779-3625

創建:1596年(慶長元)
開山:遠誉
延命火除地蔵尊(鎌倉時代)、救世観世音菩薩(花の観音様)
国登録有形文化財:庫裏、山門
江戸時代前中期の書家・狂歌師永井如瓶、江戸中後期に活躍した池大雅門下の絵師福原五岳の墓。
年中行事:修正会・春秋彼岸会・盂蘭盆施餓鬼会







お寺の中を覗きながら、「松屋町筋」という幹線道路に沿って歩きます。幹線道路沿いですがさすがお正月車は多くはありません。途中ウォーキングの旗を立てた集団の方が歩いて来られました。「新年から集団ウォーキング?」とビックリしましたが、お腹ごなしに丁度いいかもしれません。


途中に「学園坂」という「大坂夕陽丘学園高校」の横を上る坂がありますが、私たちはその先の「口縄坂」で上ります。
口縄坂

住所:大阪市天王寺区 下寺町二丁目 1-23
大坂夕陽丘学園高等学校南の坂、珊瑚寺と浄春寺の間の坂。
坂の下から眺めると、道の起伏がくちなわ(蛇)に似ているところから、この名が付けられたという。
付近の浄春寺には、暦学者麻田剛立、画家田能村竹田、春陽軒には国学者尾崎雅嘉、太平寺には、医家北山寿安ら、江戸時代に活躍した先人の墓がある。また、梅旧院には芭蕉の供養碑もみられる。


坂の下には11時です。ウォーキングの方はどうもここを見落とされたようです。こういった坂などを廻る時はゆっくりと標識を探しながら行かないと急ぎ足では逃してしまうようです。


住宅が並ぶ静かなお正月風景です。下の道に用事があると上ったり下りたり結構急なので大変そうです。
夕日岡(夕陽丘)命名の地


夕陽丘風致地区とされた上町台地西側のこの地点は「藤原家隆」が1236年(嘉禎2)に浄土教の「日想観」を修めるための草庵「夕陽庵・せきようあん」建てた場所です。
ちぎりあれば難波の里にやどり来て 波の入り日とおがみつるかも
そして少し西に「藤原家隆の塚」が造られています。


夕陽を眺めるのに良いような場所という事ですが、今では大阪湾の夕陽は眺められそうもないでしょう。

愛染堂 勝鬘院(あいぜんどうしょうもういん)
住所:大阪市天王寺区夕陽丘町5−36
電話:06-6779-5800
愛敬を授けて 衆生を救はんと 誓や深し 愛染明王

開基:聖徳太子
創建:593年(推古天皇元年)
拝観:無料 夏季 8:30 〜 17:00 冬季 8:30 〜 16:30
川口松太郎『愛染かつら』の縁結びの霊木「愛染かつら」がある。
施薬院が勝鬘院と呼ばれるようになったのは、このお寺で聖徳太子が勝鬘経というお経を人々に講ぜられていたため、そして勝鬘経に登場するお姫様・シュリーマーラー夫人(勝鬘夫人)の仏像が本堂に祀られているため、後にこう呼ばれるようになつた。
金堂:府の指定文化財
多宝塔(大日大勝金剛尊):国の重要文化財・旧国宝
その他:十一面観音、勝鬘夫人、薬師如来




「愛染かつら」はメロドラマの代表的なもので「田中絹代と上原健、京マチ子と鶴田浩二」など美男美女のお話ですが、現代からするととてもうじうじとして理解しがたい事も多々あるようです。それでも境内には若い女性が多く願い事もとても真剣の様子でした。
今日は特別拝観が行われ「秘仏・愛染明王」が見られた様です。といっても私は外で腰の良くなる椅子や哲学に椅子(すべて石)に腰かけ思索に耽って(?)居ました。ポカポカ陽気で気持ちが良い日でした。
本堂裏の多宝塔はとても立派でしたが、本堂と多宝塔の間がパーキングになっていてそれがとても残念でした。木とかお庭とかであれば良かったのに・・・・・

大江神社
住所:大阪市天王寺区夕陽丘町5−40
電話:06-6779-8554
住所:大阪市天王寺区夕陽丘町5-40

例祭:秋祭(10月16日)
主な神事:元旦祭(1月1日)、夏祭(7月16日)、大祓式(12月31日)




広い境内でした。家族連れの方が参拝に多く来ておられました。大阪のパワースポットとして「狛虎」が人気らしい。またこの神社の「百歳の階段」は101段あり、人が100歳にたどり着いたらそこで一区切り、新たに1段から進むという事らしい。今回この階段は使用せず七坂・愛染坂を下ります。境内の芭蕉の句はここで詠んだものではなく近くに弟子が居てそこを訪ねた芭蕉もおそらくここ、愛染坂辺りをあるいただろうという事のようです。
あかあかと日はつれなくも秋の風(芭蕉)

愛染坂

住所:大阪市天王寺区下寺町二丁目4-3
その名の通り坂の下り口にある愛染堂勝鬘院から名づけられた。愛染さんの夏祭り(6月30日)は大阪夏祭りの
先駆けとして知られ境内の多宝塔は市内最古(文禄三年)の建造物で重要文化財と指定されている。大江神社には夕陽岡の碑がありこの辺りからの夕焼けは今も美しい。



清水坂

住所:大阪市天王寺区 下寺町二丁目 4-15
新清水清水院に登る坂道をいう。高台にある新清水寺境内からの眺望は格別で、さらに境内南側のがけから流れ出る玉出の滝は、大阪唯一の滝として知られている。また、この付近一帯は昔から名泉どころとして知られ、増井・逢坂・玉手・安井・土佐(有栖)・金龍・亀井の清水は七名泉と呼ばれている。


清水坂は、11時40分に到着。

和宗 有栖山 清光院 清水寺
四天王寺支院
住所:大阪市天王寺区伶人町5−8
電話:06-6771-5714

創建:1640年(寛永17)
開基・中興:延海大阿闍梨
享保年間(1716〜36年)に新清水寺に寺号を変えた
現在は 四天王寺の支院である。
玉出の滝は京都の清水寺の音羽の滝によく似た構造になっているが大阪市内では唯一の
滝である。
上町台地の西側と東側は、古代海であったから井戸水は硬水であり飲料には適さない。上町台地のこの辺りには天王寺七名泉があった。生駒山から地下深く流れる地下水が四天王寺の金堂下の青龍池に更に『亀井の水』、天王寺七名泉につながっているとか伝わる。








舞台の外れに鐘楼、若者が撞いていました。「愛の鐘」じゃないんだから・・・・・でも中々良い音でした。下に下りて行くと「仮本堂」で本堂は建築中のようです。奥に「玉出の滝」が落ちています。下まで来たのでまた上まで登り返します。

天神坂

住所:大阪市天王寺区 下寺町二丁目 6-6
安居天神へ通じる坂道なのでこのように呼ばれている。この神社境内は大坂夏の陣に真田幸村が戦死したところで、本堂脇に「真田幸村戦死跡之碑」がある。
また、同境内すぐ下には七名泉の一つ、安居の清水があり、「かんしずめの井」(癇静め)とも呼ばれよく知られている。


安居神社
住所:大阪市天王寺区逢阪1丁目3−24
電話:06-6771-4932

創建:942年(天慶5)
昌泰4年(901)菅原道真が太宰府に左遷された際、河内の道明寺にいた伯母覚寿尼を訪ねて行く途中、ここへ立ち寄って安井(休憩)した。当時、道真に同情した村人がおこしを差し上げると、お礼にと菅原家の紋所「梅鉢」をもらった。これが、今でも大阪名物の「粟おこし」の商標の梅鉢となったといわれている。
当地は四天王寺の僧侶がここで夏安居(げあんご:雨季の間に外出を控え寺院で修行に専念すること)することもあり、「安井」が「安居」になったという。
境内には、道真も口にしたといわれる天王寺七名水のひとつ「かんしづめ(癇鎮め)の井」のほか、大坂夏の陣で徳川方に討たれて戦死した真田幸村の記念碑が建つ。





古社らしい佇まいですが境内は切り取られたような感じのする狭いものです。真田幸村の銅像も隠れるように置かれていました。もちろんそれでも参拝の方はボチボチありました。都会のまん真ん中の神社です。

逢坂



安居神社はこの逢坂にも戸口を開き鳥居を設置しています。逢坂の前の道は国道25号線で沢山車が走っています。ゆるやかな坂がこの喧騒で少しきつく感じる(!!)私です。
信号前に沢山の人だかり、一心寺から吐き出された人々のようです。
浄土宗山 坂松山 高岳院 一心寺
法然上人二十五霊場第七番札所
本多忠朝、小西來山、八代目団十郎ほか、多くの有名人の墓
住所:大阪市天王寺区逢阪2丁目8-69
電話:06-6771-0444 (午前9時〜午後4時)

開基:法然上人
納骨された遺骨で造立される「お骨佛の寺」
宗派を問わず年中無休で営む「おせがきの寺」






住職の御一族が建築家であり、門はまるでスポーツセンターか何かのようです。仁王様は彫刻ですが、筋肉隆々、ロダンとはいいませんが筋が浮き出ているような生々しい銅像です。門扉はまるでギリシア神話の絵画のようです。境内は多くの人で賑わっています。
金色に輝く塔が見えています。
阪神淡路大震災の植樹と東日本大震災「3.11を忘れない」の彫刻が並んでいました。





別棟にある「三千佛堂」は「金色に輝く千体佛(山田良定氏作)」が並び、奥には「李暁剛氏の雲山弥陀三尊像」が講堂にあるという事です。とにかく私には考えが及ばない世界観です。


さてここのお寺は、どうも落ち着かないので早めに終了しました。





byニコちゃんでした。

国重文・多宝塔のある「愛染堂 勝鬘院」は下記です。