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2013年11月27日

名古屋市南区「笠寺観音、桜田勝景跡と東海道周辺ウォーキング」のご紹介

11月27日(水)児童公園やその周辺は落ち葉が積もっています。わーい(嬉しい顔)
掃除をしてもすぐに、舞い散る落ち葉、枯葉に埋もれて寝て見たくなりそうです。
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草の戸に茶をこの葉かくあらし哉(松尾芭蕉)

名古屋市南区「笠寺観音、桜田勝景跡と東海道周辺ウォーキング」のご紹介です。
今回のコース
名鉄本線呼続駅(8:40)・・・安泰寺・山崎城跡(8:49)・・・熊野三社(8:50)・・・(アルボル)・・・百毫寺(9:00)・・・鎌倉街道道標・・・地蔵院・・・黄竜寺・・・呼続公園(9:25)・・・冨部神社(9:35)・・・清水稲荷社・・長楽寺・・・桜神明社(9:59)・・・東宝寺・・・笠寺観音(10:18)・・・西方寺・・・泉増院・・・東光院・・・七所神社(10:53)・・・笠寺一里塚(11:10)・・・(コメダ珈琲白雲店)・・・笠寺公園見晴台遺跡(11:18)・・・桜田景勝跡・桜田貝塚跡・八幡社(11:35)・・・村上社(クスノ木)(11:41)・・・鳥栖八釼社古墳・・・成道寺・・・鳥栖のヒイラギ・・・醫王寺(新屋敷西城跡)・・・鳥栖神明社古墳(12:13)・・・地下鉄桜通線桜本町(12:18)
歩いた歩数:20018歩
歩いた距離:13.7km
歩いた時間:3時間38分
歩いた日:2013年11月23日(土)

※地図のどこかをクリックすると@tripで確認することが出来ます。
(3Dでご覧の場合グーグルアースのインストールが必要です。)


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※呼続公園・曽池遺跡

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※国重文・冨部神社本殿

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※尾張四観音・笠寺本堂

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※笠寺公園・見晴台遺跡

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今回名古屋城の鬼門である尾張四観音の一つ「笠寺観音」を訪ねる事にしました。
JR笠寺駅、名鉄本笠寺の駅から大変近いのでアプローチは良さそうですが、この機会に近辺ウォークをすることにしました。ネット検索をして自分流に編集したコースを設定しました。
くつスタートは名鉄本線呼続駅です。
名古屋市南区は始めてです。人口138000人の区で何と名古屋市で人口減少している唯一の区のようです。歴史があり港区、熱田区、瑞穂区、天白区、みどり区と接し、交通の便もよさそうですがどんな街なのでしょう。
名鉄本線呼続は普通電車しか停車しませんので岐阜から名古屋で乗り換えます。
呼続駅 
住所:名古屋市南区呼続一丁目1番17号
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くつ駅舎は無人で線路を渡って一旦北へ向かいます。線路沿いに最初のポイント「安泰寺・山崎城跡」があるはずなので早めに右おれしますが行き止まります。又戻り大きめの道を進むと「安泰寺」の石碑がありました。少し急な坂を進むとお寺に着きます。

寶殊山 安泰寺
山崎城(別名「羽城」)跡

住所:名古屋市南区呼続元町16−22
電話:052-811-721
本城主:蔵人浄盤、次に桶狭間合戦で戦死した加藤弥三郎、最後が佐久間信盛
東西が約45メートル、南北が約56メートルで、三方が崖で囲まれた要害の地でした。
廃城後、桜の宝珠庵がこの地に移され、安泰寺となった。
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境内には大きなクスノキがあり保存樹となっています。城跡らしき遺跡はなにもありませんが高台であり木がこんもり繁りお城があった雰囲気は残ります。
exclamationちなみに南区では、区の木が「南の木」で「楠」だという事です。語呂合わせのようですが・・・
入ったところは山門ではなく南に味のある山門がありました。
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山門からでてみると名鉄の線路を跨いで橋がかかり、今まさに地元の方が渡って来られ山門前の狭い階段から下りて行かれました。橋の上から線路を見るとお堀に線路が作られたと書かれていた方がありましたがなるほどとうなずけます。
くつ細道を歩いて行くと右手の住宅の間に杜がみえました。「熊野三社」です。

熊野三社
住所:名古屋市南区呼続2丁目
本創建:佐久間信盛(山崎城主)が永禄年間(1558から1570)に守護神とした社。
1627年(寛永4)に山崎村の氏神とした。
手洗鉢:「松巨島(まつこじま)」、背面には「明和三年(1766)丙戌歳五月吉辰・願主三宅徳左衛門年定」と彫られている。
「松巨島」と呼ばれるようになった理由は、この地を熱田方面から眺めると、この一帯が川と海に四方を囲まれ、たくさんの大きな松が生い茂っていたため「松の大きな島」に見え白い砂浜に青い松というコントラストが見事だった、と伝えられる。(「尾張恂行記」に名所として記されている)
境内では時折野菜などの朝市が開かれる。
「東海道記念碑」(宿駅制度制定400年記念):旧東海道を示す簡単な図
ここが「山崎の坂」で、南には鎌倉街道、塩付街道が交差している。すぐ西側に旧東海道(南北)。
ペン松尾芭蕉:「寝覚めの里よびつぎ」
かつて山崎の坂はもっと急で、多くの人が休息をとり立て場となっていた。熱田の宮の宿へ行き来する人で大変賑わい、宮の宿から渡し舟の出航を「船が出るぞ〜」「船が出るぞ〜」と、人から人へ呼びついだことから呼続となったと言われている。

かつては一体が大きな丘であったようですが今ではその面影は鉄道や道路で寸断されありません。松が沢山繁っていたとは面影がありません。鳥居の前には「東海道の石碑」が立派です。
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くつ旧東海道らしい雰囲気の道、狭くて比較的まっすぐな道に新しい街並みが並びます。
喫茶店交差点にでます。向かいに「アルボル」というカフェがあります。寄ってお茶にしたいけれどまだまだ始まったばかり、目を瞑って右おれし通り過ぎます。4本目の細道の先に杜があります。「百毫寺」です。
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曹洞宗 眉間山 百毫寺
市指定:名勝・旧年魚市潟(あゆちがた)展望地 勝景跡

住所:名古屋市南区岩戸町7−19
電話:052-811-6344
本創建:1571年(元亀2)
開山:桂岩昌玖大和尚
本尊:阿弥陀如来
天正四年鳳巌珠公師開基となり、草庵を法地起立開山。
元緑年間に本堂が建立され(戦災で焼失)。
天保時代、十三代無着黄泉大和尚は「東海禅林」の修行道場を開く。
exclamation「あゆち」は「あいち」に転じ、県名の語源となった。
また、源頼朝が京都へのぼる途中、ここで休んだので「棧敷山」とも呼ばれる。
境内には、勝景跡の碑や歌碑、芭蕉句碑などが点在している。
ペン高市連黒人:桜田へたづなき渡る年魚市潟潮干にけらし鶴鳴きわたる
万葉集第七巻:年魚市潟塩干にけらし知多の浦に朝こぐ舟も沖による見ゆ
松尾芭蕉:春風や戸部山崎のやねの苔


くつここへ上る坂道で枯葉の掃除をされていました。やはり境内には大きな木々が繁り小高い位置に当たるために昔は景色が良かったと思われます。
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「旧年魚市潟 展望の碑」など碑のある場所は木が大きくなりうっそうとした杜になりかけています。展望は無く森林浴の出来そうな場所に変わりつつありました。本堂は新しくなっていましたがお庫裏は中々風情のあり建物で素敵でした。
くつお寺の前の細道が「鎌倉街道」と思える細くてまっすぐな道でした。進んで行くと多少の上り下りを経て旧東海道との交差点にでました。
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鎌倉街道
本鎌倉幕府が開かれたときに整備された、京から鎌倉へ通じる道が南区を通っている。
上の道、中の道、下の道の3経路があったといわれる。
中の道は、白毫寺から村上社を経由して古鳴海に至る道。白毫寺北側から東に進んで東海道を横切り、地蔵院、黄竜寺の前を通り、名鉄本線あたりまでに昔の面影を残す。

くつ交差点の先にお寺がありました。

真言宗醍醐派 海底山 地蔵院
名古屋大師15番、尾張六地蔵3番、大名古屋八十八ヶ所42番
住所:名古屋市南区呼続3-11-27
本本尊:湯浴地蔵大菩薩銅像(高さ2.3m座像 鎌倉時代)
創建:1262年(弘長二年 鎌倉)
人びとが湯を浴びせて祈願したことから、「湯浴地蔵」と呼ばれるようになった。戦災と伊勢湾台風の被害に遭ったため、今では仏頭と両掌だけが旧形をとどめている。

わーい(嬉しい顔)とても親しみやすい感じのお寺です。
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お花を供える「供花」と書かれた壺のような形の上にが乗っかっていました。可愛らしい。その前には菊のお花が満開でした。

宗教法人 曹洞宗 梅林山 黄竜寺
名古屋四国41番、尾張四国4番

住所:名古屋市南区呼続3丁目11−23
電話:052-811-5423
本本尊:白衣観世音菩薩
創建:1468年(応仁2)当時は「龍玄寺」
1758年(宝暦8)寺号が黄竜寺に改名。
所蔵:菅原道真の真筆画像(誓願寺より遷座)

地蔵院の横に「黄竜寺」が幼稚園に囲まれて(?)いました。セキュリティでがっちり守られて中に本堂が見えました。道真の真筆が保存されていては心配かもしれません。
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くつさて今度は交差点に戻り旧東海道を少し南下します。途中に「誓願寺」がありましたが、普通のお宅になっていて、門から少し見た位で殆ど社寺とは思えませんでした。
くつ大きな交差点にでました。呼続小学校前です。歩道橋で交差点を渡ります。
かわいい歩道橋に伸びるように小学校の校庭から冬桜の枝が伸びていました。白い可愛い桜に思わず見とれてしまいました。
本小学校の裏門の所に解説版がありました。小学校建設時の発掘調査で古墳時代や中世の住居跡が見つかっているとのことです。溝状遺構があり、土師器、須恵器、山茶碗も出土しているようです。もちろん「旧年魚市潟(あゆちがた)勝景地」にも含まれています。
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くつ小学校と近郊中学校の間の道には多くの車が路上駐車し人々が沢山出たり入ったりと賑やかでした。近郊中学の木の紅葉が綺麗でした。中学校の先にある杜の間に細道があり気持が良さそうなので行ってみました。そこそこに円空菩薩のような石仏が並んでいて顔立ちに異国的な雰囲気もあります。
黒ハート黒ハート紅葉真っ盛りの曾池にでました。池に周りの木の赤色が映り、なんとも素敵な景色です。紅葉の名所だったようです。そんな中、池の渕の人達は魚釣りに余念がありません。池の周りには魚釣りの方を見ておられるのか紅葉を見ておられるのかのんびりとした散歩の人もあります。
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呼続公園・曽池遺跡
住所:名古屋市南区呼続四丁目
本区の代表的な公園、野球場には夜間照明、曽池には噴水。潤いと緑あふれる憩いの場です。
曽池遺跡:
本縄文晩期から中世までの「曽池遺跡」。住居や井戸の遺構、縄文から各時代の土器類、木器や宋銭などが出土。漁具や船の一部など、漁に関係あるものも出土しており、人々が長い間居住した場所であったことがうかがえる。

くつ池に沿って歩きグランドの横に出ます。
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グランドは子供たちが野球をしていました。グランドの南には少し遊具などもありました。公園の地図が見当たらなてよく解らなかったので途中の小道から左手に向かいました。冨部神社の境内に入りました。

冨部神社
別名「蛇毒神社」「戸部天王」
住所:名古屋市南区呼続4-13-38
電話:050(3554)5067
ホームページ
本創建:1603年(慶長8)
開基:清洲城主松平忠吉
1606年(慶長11)に本殿、祭文殿、回廊、拝殿を建説。
国重要文化財:本殿 一間社流造、檜皮葺屋根。正面の蟇股、屋根の懸魚(げぎょ)や桁隠は桃山様式。
市指定有形文化財:高砂車山車。享保12年(1727)作の「高砂車山車」が保管。

グッド(上向き矢印)境内では地元の方が掃除をしたり道具を出して磨いたり忙しそうでした。
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何か行事でもあるのかと思えるくらい忙しげでした。国重文の本殿辺りも人が出たり入ったりで落ち着かず、急いで撮影し失礼しました。
くつ長楽寺に行くにはどうしたらよいか分からないので鳥居の外に出てから逆に東側の細道を歩いて行きました。「清水稲荷」がありました。長楽寺の境内になったようです。

曹洞宗 稲荷山 長楽寺
尾張三十三観音、東海百観音の第四番霊場
住所:名古屋市南区呼続4丁目13−18
電話:052-811-6033
本本尊:立木観世音菩薩
創建:811年(弘仁12)弘法大師(空海)
この地に巡礼したおり、夢のお告げによって、この呼続よびつぎの浜に七堂伽藍が創建され、真言宗戸部道場 寛蔵寺と名付け、清水叱枳尼眞天を鎮守神として安置。 (現在、当山の清水稲荷殿にお祀り)
1470年頃(文明の頃)に衰微。
宗派を曹洞宗に改宗し、第1世の明谷禅師を中興の開祖として、寺名を現在の長楽寺ちょうらくじと改めた。
1603年(慶長8)、徳川家康公の四男、忠吉公が当山で病気の平癒祈願。
1606年(慶長11)、寺に書院・客殿などを報恩建設(現在の富部神社)
立木観世音菩薩
1798年(寛政10)当山17世の智海和尚が、境内にあった松の木の下に観音石像を安置。
その木が枯れかかった時、一人の老人に弘法大師の夢告があり、立木のまま十一面観世音菩薩の尊像を彫刻。これが現在の本尊。
犬動物霊園

exclamationこのお寺には「盲導犬サーブ」のお墓もあり動物霊園があります。
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グッド(上向き矢印)弘法大師の創建という古刹でもあり、盲導犬発祥のサーブのお墓があるということもあり、沢山の方が参拝をされていました。杜が深く都会の真ん中にこのような豊かな森が残るのが不思議なくらいです。
くつ長楽寺から細道を通り旧東海道に出ます。旧東海道は南北に通りますが渡って東に突き当たるまで進みます。突き当りは名鉄の線路が走り住宅がぎっしり並んでいました。
exclamation&question右手に「玉泉寺」があるはずでしたが見つけることが出来ませんでした。仕方なく突き当りを左手に向かうと一角が「桜神明社」ですた。

桜神明社
桜神明社古墳

住所:名古屋市南区呼続4丁目28
本祭神:天照皇大神
創建:不明
例祭:10月10日
本殿は古墳の上に建っている。
1916年(大正5)、近在にあった熊野権現社の祭神を合祀。
天保年間の作と伝わる馬具(馬塔(まんとう)の馬具)が伝わっており、毎年10月の例大祭の際に展示される。
桜神明社古墳(ひめ塚)
直径約36メートル、高さ約4.5メートルの円墳です。古図には「比米(ひめ)塚」と記されている。保存状態が良く、北側から西側にかけて幅約3メートルの濠が一部原形のまま残っている。墳裾から埴輪片などが出土しており、5世紀末ごろの古墳と推定されている。

線路にへばりつく様に神社があり本殿は小さなものです。古墳があったとはちょっと思えない気がします。
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くつ神社の東で名鉄の踏切を渡ります。目の前に石垣のあるお寺が見えました。おそらく南から入るのだろうと廻ってみると石の門柱でした。

浄土宗 西山禅林寺派 東宝寺
東宝寺桜村固本碑

住所:名古屋市南区西桜町98
電話:052-811-4723
本桜中村城の家老屋敷跡とも伝えられる東宝寺。
境内に、「尾張徇行記」の著者、樋口好古撰の石碑。
桜村を治めていた尾張藩の家臣たちが、細かく区分された土地からそれぞれ税を徴収したため農民たちが困窮していた状況と、村役人の村瀬藤九郎の「土地を細分化せず、蔵入地(藩主の土地)にしてほしい」との訴えが藩主に聞き入れられ、10年間の税の定率化と農業生産の向上が図られた経緯が刻み込まれている。
国の基礎を担う農民の暮らしを第一に考える藩政が広がってほしいという願いが込められた碑。

家老屋敷だったという歴史から思えば門柱でもおかしくはないけれどお寺らしくはありません。
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手入れの行き届いた松が陽の光にスクッと立っていました。
くつさてここから南下する道は「塩付街道」です。

塩付街道
本山崎・戸部・笠寺・本地・南野・荒井・牛毛は、かつて星崎7カ村と呼ばれ、塩の生産が盛んなことで知られていた。ここでとれる塩は「前浜塩」と呼ばれ、慶長13年(1608)ごろには約100ヘクタールの塩浜があった。しかし、江戸後期には、新田開拓による塩浜の減少や瀬戸内海の塩の流通拡大などにより、塩作りは戸部・笠寺・本地の3カ村に減り、塩浜も約17ヘクタールまで減少した。各村で作られた塩は、いったん村の塩倉に集められ、富部神社あたりから桜、新屋敷、中根を経て、遠く信州塩尻まで馬の背に乗せられて運ばれた。この道を「塩付街道」と呼ぶ。

くつ細い長い道片側には名鉄の線路です。塩をえっちらえっちらと運んだ昔の人を偲んで住宅の並ぶ道、陽の光をあびて歩いて行きます。突き当たると「笠寺商店街」の看板がありました。車の多い道(地方道222号)が東西に続き名鉄踏切のために渋滞します。
exclamation&questionこれでは商店街も買い物どころではないでしょう。笠寺西門の信号に出ました。
くつ信号を渡ると右手にとても立派な石碑がありますが殆ど字が読めない状態です。
くつ西門から入ります。

天林山 笠覆寺(てんりんざんりゅうふくじ)
笠寺観音
甚目寺・荒子・竜泉寺とともに尾張四観音の一つ。

本創建:729年(天平年間)
開基:禅光
本尊:十一面観音
当初は「小松寺」
930年(延長8)に藤原兼平がこの地に復興「笠覆寺」という名前になった。
1238年(嘉禎4)に僧阿願が再建。
本堂:1763年(宝歴13)に建造。
国の重要文化財:色紙墨書妙法蓮華経巻第五
県指定文化財:笠覆寺文書、梵鐘、木造十一面観音菩薩立像、銅造十一面観世音、六稜式厨子及び古甕附高力種信筆出現縁起二張

ペン境内:芭蕉句碑
千鳥塚「星崎の闇を見よとや啼千鳥」
春雨塚「笠寺やもらぬ岩屋も春の雨」
宮本武蔵の碑、織部灯籠、愛智塚、笠寺暁台塚


笠寺観音は写真が多いので後日写真等改めてご紹介いたします。
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なお塔頭の「西福院」はまるで笠寺の会館か何かの様に境内の西側奥に建っていました。

真言宗豊山派 天林山 西福院
笠寺十二坊 西善坊(笠覆寺塔頭)

住所:名古屋市南区笠寺町字上新町22
電話:052-824-6393
本本尊:不動明王
創建:736年(天平8 奈良時代)

くつ笠寺観音西門の斜め前には「トイレの神様」を祀る「西方院」があります。

真言宗 智山派 西方院
笠寺明王:烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう・トイレの神様)

住所:名古屋市南区笠寺町上新町81
電話:052-811-6682
本この烏瑟沙摩明王は木曽義仲の母が持仏として信仰したと伝わる。

車(セダン)狭い坂道を車が勢いよくやってきます。気を付けて渡ります。
まず「烏瑟沙摩明王」のお堂があり庶民的な様子です。
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このお堂の横に本堂がありました。山門までの参道は短いけれど中々風情があり歌碑も置かれていました。本堂は新しい建物になっていました。この境内にも大木がありました。
くつお隣と思える程近くに「泉増院」です。玉照姫をお祀りしています。

真言宗智山派 泉増院
住所:名古屋市南区笠寺町字上新町76
電話:052-821-1366
本玉照姫の像が安置。
玉照姫
本風雨にさらされていた観音様に自分の笠をかぶせてあげたことが縁で、藤原兼平の夫人になった女性。
玉照姫伝説
もと美濃国の豪族の娘玉照姫は、あまりの美しさゆえ不運な運命に巻き込まれ、鳴海の長者の召使いとなった。不遇な生活を送りながらも、玉照姫は呼続の里の街道わきにあった観音像にお祈りした。ある雨の日、ずぶぬれになっていた観音像に自分の笠をかぶせてあげた玉照姫は、たまたま通りかかった藤原兼平に出会った。兼平は心優しい玉照姫を見初めてプロポーズ。めでたく二人は結婚し、京で幸せになった。
その後、二人の出会った思い出の土地には、立派なお寺(現在の笠寺観音)が建てられ、笠をかぶった観音像が祀られた。

exclamation×2提灯が祀られた親しみやすげなお寺ですが、山門から中に入るとビックリ「受付」が作られ人々が準備の真最中でした。
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何かコンサートのようでした。境内をもう少し散策して見たかったのですが諦めて帰りました。
がく〜(落胆した顔)笠寺の仁王門とこの「西方院」「泉増院」の塔頭は同じ敷地のままにしておくことは出来なかったのかとても残念でした。そうすればもっと森も残ったろうし、広い公園のようにもなり参拝もしやすかったと思うのです。222号(旧東海道の一部?)を通す必要はあったのか疑問に思いました。
くつさて、「泉増院」の横から222号を放れます。狭さは同じですが車が少ないので助かります。
武蔵ゆかりの笠寺の塔頭「東光院」です。

真言宗智山派 東光院
笠寺天満宮 笠覆寺十二坊の一つ

住所:名古屋市南区笠寺町字上新町47
電話:052-821-4288
本創建:736年(天平8)
再建:930年(延長8)兼平。
再建:1536年(天文5)
本尊:不動明王(伝教大師作)
天満宮・出世お神酒天神
星崎城主山口重勝の所持品であった天満天神菅原道真の肖像画を豊臣秀吉から預かり、祀るとお酒を供えると赤くなることから出世神酒天神となる。
本堂:江戸中期
宮本武蔵:南区に滞在した際に東光院で過ごしたという伝承が残る。左右両腕で書き分けた「南無天満大自在天神」の掛軸、武蔵の「肖像画」、武蔵自作の「木刀」が所蔵されている。

exclamation&question天満宮ですが鳥居はありません。とても不思議な感じがします。
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exclamationお酒を供えると赤くなって出世する!!
変なおもしろい天満宮ですが、境内は静謐でそんなざわざわした感じはありません。
くつさて南に住宅の中の細道を南下していきます。目の前に杜が見えると「七所神社」です。
一区画が森になって秋葉神社も境内にあります。

七所神社
住所:名古屋市南区笠寺町字天満12
本祭神:日本武尊、須佐之男尊、宇賀魂命、天穂日尊、天忍穂耳尊、宮簀比売尊、乎止与尊
創建:938年(天慶元)
例祭:10月8日
神事:御神輿渡御神事(10月第2日曜日)
祭神に七柱を祀っていることから、七所神社と呼ばれている。
940年(天慶3)に、平将門降伏祈願のために熱田の宮の神々を勧請した、と伝えられている。また、境内には、熱田神楽の正統を継承してきた神楽師の碑がある。

本殿は大変小さいのですが杜はとても広く空気が澄んでいます。真夏でも涼しいのではないかと思います。(蚊は多いかも)ベンチとかがないので休憩はしませんでした。
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ふらふら予定は「粕畑貝塚跡・元笠寺」へむかうのでしたがかなり時間がたっていたのでここは割愛して斜めに東に向かい「笠寺一里塚」へ向かいました。
くつ笠寺精治療病院という新しい建物の病院の前にでました。そこを左にすぐに「一里塚」です。

笠寺一里塚
本慶長9年(1604)、徳川幕府は、江戸橋を基点として、東海道をはじめ主要街道に一里塚を築いた。36町を一里(約4キロメートル)とし、一里ごとに土を盛って塚を築き、その上にエノキやマツの木が植えられた。一里塚は旅の目印となったり、人足が荷物を運ぶとき運賃計算の目安にされたした。
市内にはかつて9カ所に一里塚があったと言われているが、現存するのはこの「笠寺一里塚」だけ。かつては一対の塚で、道を隔てた南側に大正時代までムクノキが植えられていた。土を盛った上に大きなエノキが根を張っている。春には水仙、秋には曼珠紗華が加わり、昔の東海道の面影をしのばせる。

道の先から榎が見えています。東海道の一里塚、今では名古屋市ではここだけ、今後も残して欲しいです。
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くつ一里塚から北上します。
喫茶店そろそろ、カフェタイムにしたいというヒカル君ですが「コメダ珈琲があるよ」と言ったら「止めとこう、他のコーヒー店があったら入ろう」と言います。私はちょっと変わり種の建物のコメダ珈琲、入ってもいいかもと思ったのですが・・・・(でもまぁカフェタイムがコメダ珈琲では寂しいかな)

笠寺公園
住所:名古屋市南区見晴町47 
電話:052-823-3200(名古屋市見晴台考古資料館)
見晴台遺跡
本昭和54年10月に笠寺公園の中に建設。
見晴台遺跡や市内の遺跡の発掘調査を行い、調査結果の紹介や、出土した遺物の展示などを行っている。映画会や講演会なども定期的に開催されており、遺跡の保存と活用の場として重要な役割を負っている。
見晴台遺跡は笠寺台地南端に位置し、面積約3ヘクタール、高さ約15メートルの平坦な舌状台地上にある。遺跡からは、縄文から中世までの遺物や遺構が発掘され、竪穴住居だけでなく濠や高坏土器なども発掘されており、質・量ともにすぐれた遺跡。
名古屋市見晴台考古資料館は、見晴台遺跡に関する資料の収集、調査研究、展示を行う遺跡博物館としての機能と、市内の埋蔵文化財の発掘調査を行う、埋蔵文化財調査センターとしての機能を兼ね備えた施設です。

黒ハート黒ハート黒ハート公園に入ると目に紅葉が飛び込んできました。本当に一番いい季節にやってきたようです。
遺跡というには大変大きな丘になっています。木も空に向かってすくっと立っています。
黄色、朱色、黄緑色、赤色なんでもありそうな秋景色(冬ですが・・・・)。
目の前に大きな公園です。子供たちが自転車で通って行きます。中から子供の声もします。
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考古資料館の屋根だけが丘の向こうに見えて何か欧風の丘を見ているようです。東屋ではのんびり憩いの時を過ごすご家族やグループもありました。ついでに考古資料館でおトイレを借りました。
くつさてこの公園から北上します。「桜田勝景の地」、今は現代の紅葉で覆われ景勝地に匹敵しているようです。
exclamation&question一本道を間違え住宅の中に突き当たりました。崖の上は八幡社ですが、上れません。住民の方が戻ればすぐ道沿いにあると教えてくださいました。
くつ一本間違えても急坂なので戻る時は登りです。水道局のまえにありました。

桜田景勝跡・桜田貝塚跡・八幡社
住所:愛知県名古屋市南区楠町
桜田貝塚跡
市指定文化財:魚形土器
本弥生時代後期から古墳時代にかけての貝塚。弥生時代後期の土器が出土している。貝塚から出土した貝は、ハマグリ、アサリ、カキなどで、年魚市潟には豊かな漁業資源があり、それを求めて周辺の高台に人々が定住したことがよくわかる。
桜田勝景跡の碑:年魚市潟(あゆちがた)の景観
桜田へ たず鳴きわたる 年魚市潟 潮干にけらし たず鳴きわたる(万葉集)

八幡社:創建不詳
県の無形民俗文化財:「桜の棒の手」の保存記念碑

exclamation×2柳生新陰流の棒の手の保存がされている事がヒカル君には意外だったようです。
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がく〜(落胆した顔)私にはここでアサリやハマグリの魚介を頂いていたと想像する方が意外の意外です。
今日は貝塚や年魚市潟の遺跡ばかりですが、本当にここめで伊勢湾の干潟が続いて来ていたなんて信ずることは難しい。それが貝塚で証明されるという恐ろしさ確かさ、事実は変わって行くことの証明です。
フリーダイヤルこの場所を境に良く見ると南東側には町が急坂になって下って行っています。南には天白川が流れやはりここらが丘になって「船がでるぞー」と呼んだのが分かります。
くつさて、ここからすぐに大木のある「村上社」です。これはすぐ分かります。木が頭一つも二つも住宅の上にでています。それをたよりに行けば迷う事はありません。

村上社(クスノ木)・名古屋市指定天然記念物
住所:名古屋市南区楠町17
本幹回りが約10.8メートル、樹高が約20メートルにおよぶ巨大なクスノキ。
樹齢は千年。
この樹は、古鳴海と桜の地を結ぶ、船人の目印になっていたと伝えられている。
ペン高市黒人の歌碑
櫻田へ 鶴鳴きわたる 年魚市潟 潮干にけらし 鶴鳴きわたる(万葉集)


exclamation×2exclamation×2このクスノキは柵が作ってありますが柵は私の肩位、それでもまだ幹の部分は殆ど出ています。
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何とも大きい、昔の小錦関のお腹の様に横に広がった幹です。おまけに枝が下に伸びているのもありつっかいをしていました。地震や、空襲や、台風や試練を耐えてよくぞ1000年もここに鎮座していたと感心するばかりでした。
くつさて新しい住宅街の間の細道を少し下ると市道東海橋線です。地下鉄桜通線鶴里駅が地下にあります。ここを信号で北へ横断します。地域は桜台、そして鳥栖になります。鳥栖なんて九州かとおもいますが名古屋の鳥栖です。桜小学校の東を通り大きな木が住宅を前に見えてきます。

鳥栖八釼社古墳
住所:名古屋市南区鳥栖2
本直径が約45メートル、高さが約5メートルの帆立貝式古墳。
形状:前方後円墳(帆立貝式)
規模:墳長 60m、前方部幅 30m、前方部幅長さ 18m、後円部径 45m、後円部高さ 3.5m
築造年代:古墳時代後期
出土品:土師器
「和銅元年(708)に、新羅の僧道行が熱田神宮の草薙剣を盗み去った。帝にこのことを知られるのを恐れ、新しく神剣を作るように鍛冶屋に命じた。完成した剣をこの地で37日間修祓(しゅうふつ)し、熱田神宮に奉納した。」という社伝が残っている。

高い建物の無い住宅街のために神社の森が良く見えます。古墳の上に長い間に木が繁って寄り小高くなったようです。
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本殿は小ぶりです。古墳の上に社をほんの少し祀ったのですから、どうしても小振りです。それが森に囲まれて神秘的です。
くつ神社のすぐ西に「成道寺」です。このお寺はホームページがキチンと作られています。

曹洞宗 芳樹山 成道寺
本成道寺(石仏)
住所:名古屋市南区鳥栖2丁目15−22
電話:052-811-1071
開山:柏林芳樹
本尊:持経観世音菩薩
詳細はホームページにて
神変権現⇒六地蔵⇒山門⇒お手水⇒夫婦地蔵(名古屋市指定文化財)⇒白山妙理大権現⇒弘誓堂(持経観世音菩薩、弘法大師、薬師如来(石仏)荒神(石仏)、聖観音(石仏)三十三観音(石仏)
名古屋市指定文化財:夫婦地蔵
「永正十二年(1515)乙亥正月十二日」とあり紀年の古さと、夫婦墓がそろって存在することは珍しい。「鳥住伝心浄本庵主」「慶林大姉」とあり鳥栖城主成田公夫妻の墓碑と考えられている。

お参りの順序など懇切丁寧にホームページに掲載されています。
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がく〜(落胆した顔)私は宗教的概念を持ち合わせていない参拝者なので門から一歩だけ入らせてもらい、それで失礼しました。いつも御朱印帳を持って行って参拝者の様に装うか迷うのですが、それが出来ない。私は私のやり方で神社仏閣を訪ねたい、硬くそう願うのです。本当に、少額のお賽銭で気楽に訪ねさせてはもらえないものか悩みます。
くつさて成道寺の前を少し進んだ民家の中にヒイラギがあります。

鳥栖のヒイラギ
本根回り約2.8メートル、樹高約6.5メートルの5本立てで、ヒイラギの中ではかなりの古木。縁起ものの木として親しまれている。

かわいい始め「鳥栖のヒイラギ」の看板の前にあったのがどうも細いし、ヒイラギでは無いように思えて横を見たらどっしりとしたヒイラギ、お花を一杯咲かせていました。いい香りです。
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ふらふらでもこれはここのお宅の私物のようなもので、そんなにジロジロ見てもいいのか迷いました。以前、京都の「柊旅館」に宿泊した時、係りの方が「何にでも柊で趣味が悪いでしょ」などとおっしゃっていましたが柊の葉の絵が櫛などにデザインされていたのです。今思うとこのように花が咲いているデザインはあったかなぁと思い出してみるのですが・・・・
くつ柊のお宅から右に突き当たり「醫王寺」です。

曹洞宗 大雲山 醫王寺(新屋敷西城跡)
東海薬師32番、尾張四国3番

住所:名古屋市南区鳥栖1丁目6−24
電話:052-822-2733
本創建:1570年(元亀元)
本尊:薬師如来(伝教大師作/日本三薬師)
戦国時代・新屋敷西城
城主:山口新太郎(又は姉川合戦に参加した山口左馬允明長)
境内無縁仏の中に、高さ約32センチメートルの地蔵坐像石仏がありましたが、平成になってから本堂前に移った。

るんるんどうも小忙しい境内でした。
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裏の小桜幼稚園で何か行事が行われ人が出たり入ったりし、お坊さんも法事があったのか出たり入ったりされていました。
それほど広い境内でもないので私たちはお邪魔になりそうで早々に帰りました。
くつ柊のお宅まで戻り、最後の古墳神社へ向かいますが、もう目の前にこんもりした杜です。
でも本当は大きな大木が森のように見えている部分もあります。どこも大木ばかりです。さすが昔からの勝景地のなごりです。

鳥栖神明社古墳
住所:名古屋市南区鳥栖1丁目
本境内全体が古墳になっている。創建は不明。
墳径約30メートル、墳高約3.5メートルの円墳で、かつては大塚と呼ばれていた。
古墳全体が神明社の境内で、墳頂部は社を置くために削られている。発掘調査は行われておらず内部主体は不明。基盤上に黄褐色粘土が敷かれ、その上に黒色土が乗り、上部は砂と粘土混じりの熱田層の土で盛られている。

地元の中学生が神社の社で待ち合わせをしていたようです。集まってどこかへ行こうと相談でもしていたのかな。どうも邪魔絵押してしまったようです。
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発掘されていない古墳。でもこの町の中では発掘はもう出来ないでしょう。周りにびっしり住宅です。
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くつさてそろそろ空腹感もしてきてゴールはもうすぐです。「地下鉄桜通線桜本町」到着しました。
地下鉄桜通線桜本町12時18分ゴール。

byニコちゃんでした。わーい(嬉しい顔)

今回ウォーキングのほぼ中間点「七所神社」は下記です。
posted by ぐろぶ at 08:45| 岐阜 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ショップからのお知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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