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2013年11月20日

JRさわやかウォーキング「八丁味噌蔵と紅葉の東公園、岡崎の文化財をめぐる」のご紹介!!

11月20日(水)昨夜は思わず掛け布団を増やして眠りました。わーい(嬉しい顔)
街にはクリスマスの音楽が流れていますが子供の頃のように楽しくなれない妙に侘しい今日この頃です。
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一枚の貰ひ布団や冬構へ(吉武月二郎)

JRさわやかウォーキング「八丁味噌蔵と紅葉の東公園、岡崎の文化財をめぐる」のご紹介です。
足今回のコース
スタート愛知環状鉄道中岡崎駅(7:56)・・・・まるや八丁味噌・カクキュー八丁味噌・・・新田白山神社(コース外)(8:20)・・・岡崎城(岡崎公園)(8:37)・・・国登録有形文化財 旧岡崎信用金庫資料館(9:02)・・・国重要文化財 旧額田郡公会堂(9:23)・・・八柱神社(9:48)・・・世尊寺(10:01)・・・東公園(10:05)・・旧本多忠次邸(10:24)・・・岡崎市史跡 小豆坂古戦場跡(11:10)・・・JR岡崎駅(11:52)
歩いた歩数:23032歩
歩いた距離:17.3km
歩いた時間:3時間56分
歩いた日:2013年11月16日(土)

※地図のどこかをクリックすると@tripで確認することが出来ます。
(3Dでご覧の場合グーグルアースのインストールが必要です。)



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※八丁味噌・カクキュー

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※岡崎城天守閣

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※国登録有形文化財・旧岡崎信用金庫資料館

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※国重要文化財・旧額田郡公会堂
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※岡崎東公園・あしのべ池と浮御堂

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※本多忠次邸

【本店ショップのご案内】
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※本店2店では多少ラインナップが異なります。お好みでご利用ください。

くつ今回のJRさわやかウォーキングは愛知環状鉄道の中岡崎駅がスタートになります。
先週、中水野駅を使用したばかり、続いての利用になります。愛知環状鉄道はJR東海道線岡崎駅からJR中央線高蔵寺を結ぶ路線です。
JR岡崎駅に早めに到着して切符を購入します。一度改札をでて購入しましたが、何とホームに可愛い小屋の販売所があり、そのままそこで購入しても良かったようです。
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早朝土曜日の8時頃の電車は通勤通学の人でホームは満員です。ウォーキングの人はまだおられません。
中岡崎は二つ目の駅です。
中岡崎のホームには愛知環状鉄道の職員の方が10名ほどもおられ、準備中です。まだウォーキングのパンフレットは配布前でした。パンフレット立てからとって行ってくれという事でそうします。
ちっ(怒った顔)ヒカル君は「こんなに大勢いて不親切だ」などと言っていますが、早く来すぎたのですから仕方がありません。JRさわやかウォーキングで一番乗りは始めてでした。
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くつ駅からの標示がちょっと分かりにくく階段下のトイレの後ろから歩き始めました。高架になった愛知環状鉄道にそって東向きに歩いて行くのですがこの道には歩道が無く歩きにくく車がくるので気を使いました。
家八丁味噌のお店が二軒堂々とした構えを見せていました。まだお店の開店には間があり観ることは出来ません。ふとみると反対側に歩道がありましたがどこから歩道に入ったら良かったのか不思議でした。

(株)まるや八丁味噌
住所:岡崎市八帖町往還通52
電話:0564-22-0222
ホームページ
本創業延元二年(1337年)、
岡崎城から西へ八丁(約870 m)の 距離、東海道街道筋に佇む、まるや八丁味噌。
醸造業から始まり、江戸時代から始めた八丁味噌造りの伝統の技と味を 頑なに守りながら、
今日もその歴史を刻み続けている。
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合資会社 八丁味噌 カクキュー
住所:岡崎市八帖町字往還通69番地
電話:0564-21-0151
ホームページ
国登録有形文化財 八丁味噌本社蔵
本構造及び形式:木造二階建、瓦葺、建築面積463平方メートル
明治40年に味噌蔵として建てられ、完成当時、石垣上の東西30余メートルの巨大な姿は城壁の観があり「大蔵」と名付けられました。梁(はり)には直径60センチにも達する太い材が使われています。平成3年12月1日から史料館として一般公開、明治時代半ばの味噌造りの様子が一目で分かるように人形7体を用いて大豆を蒸す作業、仕込み作業を表現しました。(史料館展示)
また宮内省御用達関係の史料、300年以上昔に近隣の農家から田畑を買った証文や、南極観測に八丁味噌を提供した返礼として持ち帰られた南極の石などが展示されています。この蔵の西下の仏教寺院との間の道は「八丁蔵通り」と呼ばれ、昔の雰囲気を今に残しています。
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くつ二軒の堂々とした建物を後にして高架を潜り駅方面に戻ります。
東海道「岡崎城下二十七曲り松屋町角」の石碑がありました。岡崎城下では東海道の出入り口惣門を設け、東は「籠田惣門」西は中岡崎「松葉惣門」です。
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くつ岡崎城主の田中吉政が10年かかって造り上げたという二十七曲りですが今回は東海道歩きではないのでこの石碑から「岡崎城」に向かいます。竹千代橋にでます。コースは岡崎城に向かいます。
くつここで少しコースを外れ、寄り道をしました。「新田白山神社」です。この神社は後日ご紹介いたします。
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伊賀川沿いに作られた遊歩道(外濠?)を「新田白山神社」まで往復して竹千代橋までもどりました。
橋の袂には「竹千代の像」と「寺島しのぶさんの純情きらり手形」があります。岡崎公園に向かいます。
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岡崎公園・岡崎城
岡崎城大手門

住所:岡崎市康生町561
本龍城
城郭構造:梯郭式平山城
築城年:享徳元年(1452年)(享徳4年説あり)
天守構造:複合連結式望楼型3重3階(1617年築・非現存)
復興:1959年(昭和34)
築城主:西郷稠頼・頼嗣(三河国守護仁木氏の守護代)
主な改修者:松平清康、田中吉政
主な城主:西郷氏、松平氏、田中氏、本多氏、水野氏
廃城年:1873年(明治6)
遺構:石垣、堀
岡崎市指定史跡:岡崎城跡
再建造物:天守、門
ホームページ
開館時間:午前9時〜午後5時 ※入館は午後4時30分まで
休館日:年末(12月29日〜12月31日)
入館料:大人:200円 小人:100円
家康館との共通券 大人:500円 小人:270円

exclamation×2岡崎城がすぐに目の前に表れて少々ビックリしました。
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お城の横が工事中で、おまけに何だか大勢の人が正装して集まっておられどうも落ち着きません。岡崎城は家康が生まれたお城。今川の勢力下で過ごした竹千代時代のお城も、やがて桶狭間の戦いの後、家康は城主になります。天守1階が復元され日本100名城の一つになっています。コースはこの城内公園をぐるりと大手門まで歩きます。
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わーい(嬉しい顔)途中に「天下人家康公出世ベンチ」という御影石でできた竹千代と家康が並ぶベンチがありました。地元岡崎の石工のかたが地元産の御影石で造られたものということです。雨で濡れていたので座ってみることは出来ませんでした。
大手門には観光用の撮影のための看板が置かれていました。
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くつ大手門を出ると国道一号線を歩道橋で渡ります。伝馬通りの歩道を東に向かいます。
るんるん通りには「岡崎ジャズストリート」の暖簾がズラリと並んでいました。
「岡崎ジャズフェスティバル」は11月2日と3日の両日、市内14ケショでライブが行われるという事です。
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くつ左手に「籠田公園」が見えると右おれします。すぐに左手に曲がると狭い道に面して瀟洒なルネサンス建造物です。ここでも工事車両が止まり落ち着きません。

国登録有形文化財 岡崎信用金庫資料館
住所:岡崎市伝馬通1-58
電話:0564-24-2367
開館時間:午前10時から午後5時まで
休館日:月曜日、祝日、1月1日〜1月3日、12月31日
入館料:無料
本赤レンガと地元産御影石(花崗岩)を組み合わせた特色ある建物は、本格的なルネッサンス様式を取り入れた建築で、大正6年に旧岡崎銀行本店として建造された。
日本近代建築の重鎮、鈴木禎次氏の設計によるもので、全国でも有数の貴重な建物として、その保存管理に大きな期待が寄せられている。
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くつ狭い道路からうまく写真が撮影できず早々に立ち去って進みます。
さて伝馬町通りに出て歩きはじめると「籠田惣門」「岡崎宿東海道二十七曲り」「御馳走屋敷」「塩座」「三度飛脚」「人馬継立」「田中吉政」「飯盛女」「助郷」「朝鮮通信使」「お茶壺道中」と可愛い石像に解説が添えられて並んでいました。
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全部をここでご紹介できませんが二つご紹介します。

御馳走屋敷
本現在の岡崎信用金庫資料館南辺りに御馳走屋敷という屋敷があった。文政九年の「家順間口書」によると間口が十五間以上もある立派なものであった。御馳走とは接待を意味する言葉で、この屋敷は公用の役人などをもてなす、いわば岡崎藩の迎賓館的な役割を持っていた。公用旅行者の格式によって接待方法も違うが、特に勅使や宮様、御三家、老中、所司代、お茶壺、朝鮮通信使などの高位高官の一行が岡崎宿を利用する際の接待には岡崎藩から家老がこの屋敷に出向いて丁重にあいさつしたという。

塩座
本塩座というのは塩を専売する権利のことで、岡崎では伝馬町と田町が権利を有し、伝馬町では国分家などが商いをしていた。矢作川を上る塩船は岡崎で差し止めて上流への通行は禁止、塩荷物は宿場を通させないなど塩の管理は厳しい物であったが、実際には抜け荷もありしばしばトラブルもあった。上がってきた塩は検査の後、馬に乗せかえられ足助街道を北上する塩の道へも運ばれた。他に茶座、魚座、煙草株などがあるが商いするものは座銭を収め座銭は町の開発や宿の助成などに使われた。

また田中吉政は豊臣秀次の家老であり、城下町全体を掘と土塁で囲み総曲輪と蘆門を築いて二十七曲りを作り岡崎の基礎を造った方です。
くつJRウォーキングは東海道岡崎宿をこうして多少楽しみながら進んで行きます。
左手に派手な楼門を見つけ寄り道をしました。「圓頓寺」です。後日ご紹介いたします。
暫く東海道を歩き、右手に曲がると次のポイントです。
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国重要文化財 旧額田郡公会堂
住所:岡崎市朝日町三丁目36番1号
時代:1913年(大正2)
本額田郡公会堂は、1918年(大正2)8月の竣工で、大正5年に岡崎市公会堂となり、1969年(昭和44)から岡崎市郷土館とされている。
額田郡物産陳列所は、旧公会堂の北側に同じ年に完成したもので、現在地に移築されて現在は岡崎市郷土館の収蔵庫とされている。設計監督者は、鳥取県工手として明治40年完成の仁風閣(国重文)の建設工事にも携わった愛知県土木技手、吉田榮蔵である。
旧額田郡公会堂は、北を正面とする木造平屋建、桟瓦葺の建物で、主屋部分は、講堂を中心に、前面中央に玄関、東西両翼に控え室を配置する。
旧物産陳列所は、木造平屋建、桟瓦葺の建物であり、左右両翼をわずかに突き出したコの字型の平面となる。
何れも規模は大きくないが、わが国における最初期の郡単位の公会堂、物産陳列所建築が揃う点で貴重である。
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がく〜(落胆した顔)少し草臥れた外装ですがデザインは大正ロマンそのもの。洋館の公会堂らしいところを残していました。ただ中に入ることが出来たのは良かったのですが、かえってガッカリしました。「博物館明治村」等で管理している建物は中が空になっている場合もありますが、ここでは展示の為に使用された棚などが残されたまま放置され物置のような殺風景なものでした。できれば何か展示するか、工夫が欲しいと思いました。
くつ分かり難い矢印に沿って(今回指標の矢印は概して分かり難かった)曲がり進みます。
くつ「岡崎西国第十番お札所 曹洞宗 根石寺(根石原観音)」の前を通り、「岡崎げんき館」(前に東海道案内・欠町から投町)という明るい建物を通り「元欠町・もとかけちょう」で「八柱神社」に向かって狭い道を北上しました。
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喫茶店そこに気持ちのよさそうなカフェがあり参加していた女性グループが入店されました。私もコーヒーなんぞ飲みたいものでしたがヒカル君にダメだしされ諦めました。
くつ突き当りこんもりと木が茂り紅葉している所が「八柱神社」でした。マップには印がされていませんがコースで境内を通りました。

八柱神社
住所:岡崎市欠町石ケ崎52
電話:0564-21-3129
本八柱神社には徳川家康の妻であった築山御前の塚がある。
家康の長男信康は、信長の娘徳姫と結婚し、家康が浜松城へ移った年(1570年)岡崎城主になる。信長は、信康の母 築山御前が今川方の出身であり、武田方と内通しているとの理由で、築山御前と信康の処断を家康に迫った。家康も助命のため努力しましたが果たせずに信康は自刃築山御前は殺害されてしまいました。
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境内は地元の方が掃除などでおられました。階段を上ると左手に築山の塚があります。
くつ境内を横切って根石小学校前の坂を下ると目の前に紅葉が見えてきて「東公園」です。
公園前の信号を渡り直進し北から公園へ入ります。左手にお寺がありました。

東天竺山 世尊寺
住所:岡崎市欠町字天上田11
電話:0564-22-1805
本創建:地理学志賀重昴
志賀重昂
しが しげたか、1863年(文久3)〜1927年( 昭和2)
本日本の地理学者、評論家、教育者、衆議院議員。
矧川(しんせん)・矧川漁長を号した。『矧川』は矢作川である。
「日本風景論」はベストセラーになる。「恵那峡」など名付けしている。
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東公園
紅葉ライトアップ:足延池周辺の紅葉ライトアップを行います。
期間 平成25年11月22日(金)〜12月8日(日) 時間 午後5時〜午後9時
住所:岡崎市欠町字大山田1番地 
電話:0564-24-0050
本東公園は、面積26.91ha(ナゴヤドーム約5個分)の広大な敷地を活用した自然と文化の公園。岡崎市出身の世界的な地理学者志賀重メゆかりの釈迦堂、南北亭、三河男児の歌碑や、鋼鉄研究の世界的権威者である本多光太郎の勉強部屋も移築されている。また、動物園、花菖蒲園、秋の紅葉など、子どもから大人まで四季折々に楽しむことができる。
等澍庵:この茶室は、1831年(天保2年)に建てられたと言われ、茶道宗偏流の再興者として知られる不蔵庵龍渓が設計した由緒あるもので、昭和58年に寄付されここに移築された。
南北亭:原名を「四松庵」といい、明治44年に東京の志賀重昴屋敷内に建てられた。昭和4年に現在の地に移築され、「南北亭」と改名した。
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くつ「世尊寺」にお参りして「あしのべ池」に沿って歩きます。「動物園」は左手奥へ行くようでファミリーの姿が多く見られます。池にせり出す「浮御堂」まで行ってみましたがベンチがあるだけでした。池の水が意外と汚れていましたが、鴨も白鳥もゆうゆうと楽しんでいました。
くつ公園を過ぎると出口に今度は瀟洒な洋館が建っていました。

旧本多忠次郎邸
住所:岡崎市欠町字足延40番地1(東公園内)
電話:0564-23-5015
開館時間:9:00〜17:00(入館は16:30迄)
休館日:月曜日(休日の場合翌日以降の休日でない最初の日)、1/1〜1/3、12/29〜12/31
本本多忠次は本多忠勝(1548-1610)を始祖とする旧岡崎藩主本多家の子孫です。忠次の父である本多家の十七代目・忠敬(1863-1920)は、宮内省式部官・貴族院議員を歴任する一方、岡崎の城址公園整備や教育振興に貢献した人物です。その次男として生まれた忠次は、学習院を経て当時の最先端の学問領域であった東京帝国大学文化大学哲学科で学ぶなど、新しい時代を生きた新世代。その忠次が周到な調査や準備期間を経て、敷地選定から建築基本設計を自分自身で行ない、36 歳の時におよそ一年の期間をかけて完成させたのがこの住宅です。1932年(昭和7)、東京・世田谷の敷地約7,100平方メートル内に建てた住宅と壁泉の一部を移築し復原したものです。
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かわいい余りに気持ちのよさそうな建物なので靴を脱いで入館(無料)しました。まだ新しく本当に気持ちの良い住んでみたくなるような室内でした。椅子に腰かけても良いという事なので腰かけて見たり、奥さまの専用ベランダ(日光浴室)では無料でお茶をいただきました。(今回のみらしい)
眠たくなる陽気のお家でしたが、私たちにはこの先が長い。
朝には私たちが一番だったけれど次ぎ次ぎと追いつかれ、この辺りでは結構ウォーキングの方が固まってきて前後に歩く方がありました。
くつ県道26号で国道一号を渡り、車の多い岡崎の町を南に向かって進んで行きます。3キロ弱の何もポイントに無い直線車沿いの道、中々辛い。JRウォーキングではこういった個所が必ず入っています。これが特徴です。長い所では3キロを超える事もあります。これが一人では歩けない長所でもあり辛い短所でもあるのです。
乙川を渡り男川の地下道を渡ると右手に瀟洒な建物の光ケ丘女子高校が現れます。やがてちょっとした木に守られた史跡です。
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岡崎市文化財(史跡)小豆坂古戦場跡
住所:岡崎市戸崎町藤狭20-25
本駿河、遠州、三河へと勢力をのばす今川義元と、安祥城を掌握し西三河を勢力下に治めつつある織田信秀(信長の父)が1542年(天文11)に激突した古戦場の跡地。
合戦の壮絶、凄絶さは後に雨が降ると地中の血が溶けて流れ出し、一面に小豆坂に変わったとまで言われた。1548年(天文17)にも両軍は再びこの地で戦い、三河一向一揆の際もここが戦場となった。この辺り一帯は槍立松、血洗池、馬洗池、千人塚など多くの伝承を残してきた。江戸時代から徳川創業史をいろどる出来事として著名で、近代以降も建碑などの顕彰活動が相次いだ。ここに設置してある小豆坂古戦場碑は昭和62年に、槍立松及び血洗池碑は平成5年に、いずれも付近の別のところから移設したものである。
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exclamation&question小豆色の血が雨でにじみ出たと言われる小豆坂も今では「光ケ丘」という明るい陽光を浴びる地名に変わり人々の心からも消えて行きそうです。戦場の無残さは語り注ぎたいものです。この史跡は「不欠町北」の信号を挟んだ両側に位置しています。
くつ信号を渡って坂道を進むと左手にはとてもお洒落な新興高級住宅が立ち並んでいます。
やがて右手に公園が現れます。小休止します。

戸崎公園
住所:岡崎市戸崎町字牛転
本16100uの公園内には、くぬぎ林の中に小さなローラー滑り台があります。
隣接してため池が3つあり、真ん中の池は渡り鳥が飛来、東側の池は一周する遊歩道がついています。
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始めベンチが参加者の方々で埋まっていたので石の上で休憩しました。
くつ何気なく見ていると公園がズーツと西に続いているようなので歩いて先まで行ってみました。緩やかにカーブした古墳だったのではと思われるような芝生広場があります。遊歩道のように両脇には樹木が並び、先には少し遊具もありました。地元のはただ男の子とお父さんがおられただけでした。
くつ池と公園の間の道を経て、「地方合同庁舎」の信号を渡り左手先がJR岡崎駅です。「共立病院」の何とも素敵な建物、とても病院とは思えません。
exclamation&question駅前郵便局の前にはベンチとしてチンチン電車(昭和37年まで運行)の保護石を使っている旨が書かれていましたがベンチにしては低すぎる(?)考え込んでしまいました。
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黒ハートさてゴールの駅に着きました。11時52分、4時間のウォーキング、予測より1時間も余分にかかりました。今日は帰路名古屋駅に所要がありそこでランチです。良く歩いたさわやかウォーキングでした。

byニコちゃんでした。わーい(嬉しい顔)

「岡崎市文化財(史跡)小豆坂古戦場跡」は下記です。
posted by ぐろぶ at 08:19| 岐阜 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ショップからのお知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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