

コース
東海北陸自動車道・関広見IC・・・中央道・中津川IC・・・曹洞宗大林寺・・・坂本・ハナノキ自生地・・・県史跡・中洗井北第1号窯跡・・・苗木城跡・・・青邨記念館・・・中山道・中津川宿・・・クアリゾート湯舟沢・・・中央道・中津川IC
全コース 歩数 12454歩 7.8km


関広見インターから入られる方も何台かあり、久しぶりの東海環状道路が意外と交通量が多くなっていたのには少し驚きました。中津川市で中央道を下りてから3ヶ所見たいところへ寄ってから苗木城へ向いました。中津川市の千旦林という地区まで来ていたのですがJR線の線路からぐっと高度が高くなって高原の雰囲気満載の地区でした。星ヶ見公園・ひょうたん池など立ち寄りたくなるような名前の農道をはしり中津川道路にでます。


城山大橋で木曽川を渡り苗木地区にはいります。この城山大橋には景色を楽しめるポケットパークのような箇所もあります。
苗木城跡に到着したのは10時30分。空には雲ひとつない青い広がり、気温はぐんぐん上がっているようでした。
国指定史跡
苗木城跡・高森山432m
通称:赤壁城
住所:中津川市苗木字櫓下

関ヶ原では東軍についた遠山友政が功をたて城に入りました。以後明治維新まで12代約270年にわたり居城として使われました。
風吹門(大手門)、千石井戸、的場跡、御朱印蔵、八大龍王神社、馬荒岩、などの遺跡。
苗木藩の廃仏毀釈




これほど徹底した廃仏毀釈を行った地域は山口県・津和野藩、島根県・隠岐藩、鹿児島県・薩摩藩とこの苗木藩のみです。
その理由については、この時期に新しく藩政の実験を握った青山参事などが過去を切り捨てた思い切った行動をとれたことです。青山参事の父親(平田派国学思想)が新政府に登用され政府の政策が直接直に伝えられ強調されたためでもあります。またこの廃仏毀釈が、朝廷の意向により全国的におこなわれるという宣伝がされたことも原因です。

※「蛭川の念仏堂」や「黒川の石仏」などにはその廃仏毀釈の爪後が残されているようです。機会があれば訪ねてみたいものです。














「風吹門」「大矢倉跡」「駈門跡」「大門跡」「御朱印蔵」「綿蔵門跡」「坂下門跡」「菱魯門跡」「千石井戸・本丸門」「武器蔵・具足蔵」「馬荒岩」そして「本丸跡」。





















下から見上げるとかなりの高さになります。豊臣秀吉の一夜城建築がこのような枠組みであれば一夜でも可能と思えるほどの実在感を持っています。秀吉の建築士の腕前は相当であったろうけれどやはりこう言った城造りは戦国時代の必須の技術だったのがよく判ります。













各地に出て行って戦をして帰り、この景色を見る間のない戦国時代の武将達のはかない夢の跡であるのですが、今では明るく、風が流れ、石垣に腰を下ろしているとうたたねしたくなってしまうようなのんびりとした時間が流れていきます。
城あとに やかたも人も いまなくて かたるは何そ 山鳥の声 (柳原白蓮)
奥木曽の 雪を梢や 山さくら (吉田冬葉)
苗木藩の行いによる首の無い仏像をここでは見ることもありません。何事もなかったかのような時が、人にはどんな富や名誉より、平和な時間の流れが一番であることを物語っているようです。
狂気の「廃仏毀釈」で悪い印象を心ならずも持っていた私ですが、やはり来て見てよかった、歴史の流れとともに、城跡は爽やかな良い風だけを吹かせてくれていました。


駐車場に戻り、苗木城についての概要の確認のため「苗木遠山資料館」へ。
入場料310円を支払い、暑かったので2階のソファですこし涼み(!)
すぐ隣の「青邨記念館」へ向ったら「当分の間休刊いたします」!!!!!

がっかりして、中津川道路で中津川の宿に向いました。
前田青邨(1885年〜1977年)

※「洞窟の頼朝」は60円切手になっています。
歴史上の人物や出来事を描きながら単にその史実を表現するだけなく、独自に磨いた技術で、自分自身の絵画表現をもって史実にとらわれない絵画を目指したようです。

訪ねた場所は順次ご紹介いたします。
byニコちゃんでした。

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苗木城跡・高森山432mは下記です。