古田織部
1543年から1615年
安土桃山時代の茶人。茶道織部流の祖。名は重然(しげなり)。美濃の人。
千利休の高弟。初め豊臣秀吉に仕えて同朋。秀吉の死後隠居し、茶道三昧の生活にはいった。茶匠としての名声が上がり、関ヶ原の戦には徳川方にして功ありとして大名に復した。徳川家の茶道師範と称されたが大阪夏の陣で陰謀を疑われ自刃。(広辞苑より)
織部焼き
桃山時代、現在の岐阜県土岐市で焼かれた陶器。古田織部の好みに沿ったものといわれ茶器が多い。緑釉と鉄絵を加え、殊に意匠が斬新。(広辞苑より)
さてこの織部の里の地元の史跡を帰路の順番にご紹介いたします。
山口の条里跡
場所:道の駅織部の里もとすの道を渡ったすぐ前
645年の大化の改新で口分田を分けるための地割として条里制が用いられました。
この山口から穂積町・十九条まで本里の跡を見ることが出来るようです。
楞厳寺(りょうごんじ)・乳薬師堂
場所:この山口の条里から文殊の森に向かう途中です。
お乳の出ない母親がお参りするとお乳が出るようになるといわれる乳薬師如来像。
祐向城が没落するときに姫が城を出て樫の朽ちた大木に子供を産み落とし逃げ、その子を鳩が餌を運んで育てたということに村人が驚き薬師如来の化身として像をお祭りしたということです。
毘沙門天像
乳薬師からすぐの山裾にあります。空海作の毘沙門天像。
中を覗いて空海作という像を見てみたのですが足しか見えませんでした。堂宇は朽ちた幹事でしたが、思ったより大きそうな立派(?)な像に見えました。
やはり祐向城主が北の守り仏として祐向谷の奥深くに堂宇もなく置かれていたものを1711年(正徳年間)に現在の場所に移されました。
4月26日には祭礼が行われるようです。
白鬚神社(しらすじんじゃ)
歯痛止めの神社。
場所:法林寺谷の流れに沿って歩き本巣中学校の前に橋が掛けられてあります。
歯痛の方は檜箸をお供えし賽銭をあげれば直るようです。
文殊陣屋跡
白鬚神社からすぐの畑の中にポツリと碑が立っています。
徳川幕府旗本戸田氏は1668年から文殊法林寺村を治めたようです。
昭空寺(しょうくうじ)
場所:白鬚神社から歩いていくと金谷用水の水門に出会います。そこから東へ一番山のふもとの旧道に沿ってあります。
徳川幕府旗本戸田氏によって1698年(元禄11年)八幡神社の前から今の場所に移され、戸田光正公母堂の菩提寺になりました。
八幡神社
佐々木小次郎直筆の額。
960年(天徳4年)多田満仲の建立。
昭空寺からすぐですが、鳥居の「八幡宮」の字は佐々木小次郎の直筆というわりに外灯などとりつけられて真偽の程が疑えます。境内には天然記念物のシイの木の大木や、大変趣のある古い狛犬がいました。
大亀寺(だいけいじ)
本尊・文殊菩薩
大きな「文殊菩薩」の碑からかなり中まで入ります。深閑とした境内の中に2匹の大亀の置かれた本堂にはビックリします。
曹洞宗派。1528年白橿城主長井左金吾長弘によって祐向城(いこうじょう)が築かれ次いで、文殊堂を造り文殊菩薩をここに安置しました。
善永寺
NHK大河ドラマ「国盗り物語」ゆかりのお寺。
1580年(天正8年)土岐一族が開基し織田信長との「石山合戦」で手柄を立て、陣鐘「麒麟鐘」と「顕如上人御寿像」を賞としてもらいうけました。
織田信長と石山本願寺・顕如上人のこの「石山合戦」は後の本願寺にとっては分裂の元にもなりまた、信長の気の置けない戦国時代の大きな戦の一つですが今はこの土岐氏のお寺も何事のなかったかのように静かにたたずんでいました。
byニコちゃんでした。
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