奥美濃、飛騨、そして関が原と雪の多いところがあります。
歴史のある街ですが私が低山としての「菩提山」を知ったのは最近でした。早速出かけました。史跡が多くご紹介が長くなりますので2回にわけてご紹介いたします。
菩提山・菩提山城跡402mと中山道垂井宿 その一
金蓮寺、春王・安王の墓(関が原合戦池田輝政陣地跡)、宮所寺跡、垂井の泉、本龍寺(芭蕉時雨庵)、八重垣神社(垂井祭)
駅から狭い住宅街を5分ほど歩くと「金蓮寺」に着きます。
時宗・金蓮寺(こんれんじ)
21号線北・駅から5分
このお寺は時宗ですが一般に余り聞きなれませんね。この宗派は、僧一遍が門下の僧尼を唐の善導にならって時衆と称したことから始まった宗派です。日本浄土教の一門です。阿弥陀経を所依とし平生を臨終と心得て念仏することとし、遊行・賦算・踊念仏を行います。
嘉吉元(1441)年、春王丸・安王丸は京都に護送される途中、将軍足利義教の命により、ここ「垂井の金蓮寺」にて長尾実景によって斬られました。春王丸は13歳、安王丸は11歳だったそうです。
そしてその翌年の1440年六代将軍足利義教は子供を鎌倉公方として下向しようとしますが、それに対抗して、下総国の結城氏朝・結城持朝は春王・安王を擁立し反乱を起こします。これが「結城合戦」です。そして破れ春王・安王は命を落としてしまうのです。
夏草や 青野が原に 咲くはなの 身の行衛こそ 聞かまほしけれ (春王丸)
身の行衛 定めなければ 旅の空 命も今日に 限ると思へば (安王丸)
まだ朝も早いため境内は静まりかえっています。ここで二人の子供達はどんな思いで斬られたことでしょう。斬った長尾氏の方も恐らくやいい気持ではなかったのでしょうね。このお寺のお方たちも大変なことだったのでしょう。
県史跡・宮処寺跡(ぐうしょじ):21号線沿い
出土した瓦から奈良時代はじめに創建さた寺跡と推測されています。
ここは本当になんにもなく21号線の企業の網の塀にただ建っている案内板。
春王(しゅんのう)・安王(あんのう)の墓と関ヶ原古戦場・池田輝政陣跡
場所:不破郡垂井町21号線・御所野交差点南
池田輝政はこのお墓の所に陣地を持ったのですね。葬られてから150年の歳月がたち、忘れられていたのでしょうか。普通、人のお墓に陣地はつくりませんよね。私にはそういった神経は分かりませんが、おそらくは、ぼうぼうと草の生えた地でお墓も殆ど分からない状態だったのでしょうね。
最初に出会った史跡は「垂井の泉」です。
垂井の泉
場所:不破郡垂井町垂井、臨済宗・玉泉寺門前隣 駅北口から直接に来れば5分くらい
昔見し垂井の水はかはらねど、うつれるかげぞ年をへにける(詞花集巻10・藤原隆経)
葱白く 洗いあげたる 寒さかな (芭蕉)
沢山の鯉が気持よさそうに泳いでいました。隣の玉泉寺は大変立派な門構えのお寺さんでした。
宿といってもやっているのかやっていないのかわからない往来です。目印がなかなか見つからないのです。
そこでたった一人歩いておられた方に「芭蕉の時雨庵」をたずねてみるとすぐ目の先でした。
浄土真宗・本龍寺
町の中央よりやや西にあたります。
金岩脇本陣の門は明治14年に移築されました。
芭蕉の時雨庵、芭蕉翁の木造は獅子門の化月坊が1855年に建立しました。
水嵐に 手をあて見む 一重壁 (規外)
四日五日の 時雨 霜月 (芭蕉)
作り木の 庭をいさめる しぐれ哉 (芭蕉)
いささらば 雪見にころぶ 処まで (芭蕉)
お祭りが賑わうのか曳き山が大きいからか広い広場が用意されて不思議な空間になっています。
八重垣神社
祭神:スサノオノミコト(素戔嗚尊)
例祭が5月に垂井祭といわれています。
3基の曳山は県有形文化財、総漆塗に蒔絵をほどこしたみごとなもののようです。
この上で子供歌舞伎が演じられ沢山の人々で賑わうようです。この垂井小学校の子供達が演ずるのでしょうか。その子供達の今は、どうも校庭でクラブのランニングに勤しんでいるようでした。さてここからが「菩提山」までは長丁場になります。明日ご紹介いたします。
bニコちゃんでした。
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金蓮寺は下記です。

