11月5日(木)最近は実際の季節と情報社会で流される季節がイッチしなくて目を白黒、11月になったとたん、
クリスマスだの、お歳暮だの、早すぎます。


まだ紅葉も充分楽しめていません。これから秋から冬への変化を楽しむ時期ですから。
さて、今日は昨日に続き「
中山道・垂井宿と菩提山城跡」のご紹介です。
菩提山・菩提山城跡402mと中山道垂井宿 その二岩手のヤマモモ、五明稲荷、菩提山城跡、明神湖、禅幢寺、竹中半兵衛陣屋跡、追分、松並木
八重垣神社・垂井小学校を後にして、
相川に掛かる
岩手橋を渡
りあじさいロードと名づけられた田園の中を通る中山道を歩きました。ここには民家は殆どなく田園風景の中の道です。道路脇には
「ふれあい垂井ピア」の旗が何本もはためいていてとても気になり帰宅後調べました。
ふれあい垂井ピアは、主催は垂井商工会議所で朝倉運動公園で行われる交流とふれあいの行事。10月31日、11月1日の両日いろんな歌やゲームの遊びの広場のようなものらしい。こんな行事が行われているとは考えられない静かな町並みでしたが、朝倉公園までは車ででかけてしまわれるのかな、町には歩いている人は殆ど見かけなかったけれど。

さてこの道は長いのを覚悟していましたが途中にいろんな史跡がありました。
垂井町指定天然記念物「岩手のヤマモモ」

通常ヤマモモは四国・九州に生育する暖地性の常緑高木で、寒冷地になる
垂井岩手に際立って自生するのは大変珍しいようです。3、4月に赤い花を咲かせ6、7月に実がなります。
五明稲荷ここは松寿丸(後の黒田長政)のお手植えのイチョウがあります。(枯れていたのか養生中のようでした)


天正6年竹中半兵衛が三木城攻略中に摂津有岡城主荒木村重が信長に反旗を翻し、竹中半兵衛の親友・
黒田官兵衛が説得に行きます。ところが逆に捕まり幽閉されます。信長は黒田官兵衛も寝返ったと怒り、
嫡男の松寿丸を討つよう竹中半兵衛に命じます。
竹中半兵衛は官兵衛を信じ、松寿丸をこの五明にかくまります。やがて潔白が証明され許された
松寿丸がここにイチョウを植えて感謝したということです。後の
黒田長政です。その後秀吉の朝鮮出兵に従います。
関が原の合戦では東軍につきます。
「黒田節」の九州福岡筑前52万石です。
一つの史跡に沢山のドラマが含まれ歩いていてもなかなか先に進めません。歴史のお好きな方なら余計にいろいろ思われることでしょう。


そうこうしているうちにようやく
岩手小学校があり
「菩提山ハイキング」の大きな看板を見つけます。垂井駅に降り立ってから
丁度2時間が経っていました。
私の調べではここの
岩手小学校の門に史跡の櫓門があるはずでしたが歩いて
「菩提山」に向いながら小学校の門にいってもごくごく普通の門。

???と思いながらとにかく「
ハイキングコース」へ向いました。


JRの線路に突き当たると
大変立派なトイレと休憩設備。何も説明もなく
「熊出没注意」「東海自然歩道と大滝」の表示。
「菩提山ハイキング」とか「登山口」の表示もありません。このあたりをうろつき堰堤の池に突き当たったり、藪ばかりの山道に少し入ったりして時間を少しロスします。



やがて東海自然歩道を少し関が原方面へ向ったあたりの
小脇の看板に気がつきます。
そこから一気に
白山神社を見つけようやく登山ではいれました。
菩提山・菩提城跡402m
10時05分。
白山神社登山口からすぐに階段を登ります。
薄墨桜の看板があります。
少し登った位置に
松尾芭蕉の歌碑があります。


元禄4年ころの大干ばつ・大凶作のおり人々を詠んだ一句。
此の山の 悲しさ告げよ ところほり (はせを)白山神社の本殿の左脇から山道になりますが殆ど
全山木の階段と思っていいほど階段です。
315段を登りきって少し歩くとまたまた
100段ほどの階段。

途中
明神湖への分岐まで130段ほど。そこがこの登山で唯一明るくなった場所。鉄塔のために木が切られ開かれています。

そこから
頂上まで250段ほど上り詰めます。途中
「明神山2時間 菩提山10分」の標識。ネットで
明神山に登られた方のページを読んでいたので2時間もかかって大変そうと感心しきりで菩提山に向います。
山頂到着10時43分。35分の登りでした。
菩提山はさすが山城跡。広々としていますが展望は一方のみです。
本丸・二の丸・三の丸など
7つの曲輪があり150m×300mの西美濃最大級の山城であったとされています。
竹中半兵衛重治は父重元の時からここに居住していましたが息子重門は山を下り岩手に陣屋を構えました。「もみぢ」はまだ紅葉には程遠く「青紅葉」。しかし心地よい風にしばし休憩。


こんどは先ほどの分岐までもどり
「明神湖」まで下ります。こちら側はどんな道でしょう。下りの道は上りよりも少しワイルド。
下山したところは「船ヶ谷林道」でした。林道脇には川がながれ渓谷に沿っています。

そして急に新しい道路とその道路をくぐる細い道。「
岩崎神社」方面へ誘導されます。「
明神湖」の表示がありません。
すぐに右手に巨大なダムが建ち聳えていました。民家のすぐそこにあるのです。
ビックリしながら急な階段を230段ほど登ってみると「明神湖」でした。明神湖
総工費:
28億5000万円
建築日:1973年から1987年の
14年間。

目的:農地災害を
「未然に」防ぐため
広報では「周辺は四季折々の自然に恵まれ眺望もよく新たな観光地として訪れる人が増えている」とされています。


私が来たこの日は
バイクの方が一人だけ。それに私。
新たな
観光施設になっているとは思いがたいですね。
このダムを未然に「28億5000万円」で造り自然は良くなったでしょうか。
人々の暮らしは安全になって農地は守られたのでしょうか。
見たところダムが何らかで決壊した時の方が怖そうな景色です。
恐らくこのダムに吸い込まれた山の自然の方が安心できたのではないでしょうか。しかしこうなってしまっては後の祭りです。

私の知らない日本中の山々でこうしたダムが建設され
何億円もの税金がコンクリートにきえたのでしょうか。先日テレビで
鳥越俊太郎さんがそのお金を「癌の研究」に一刻も早く使って欲しいとおっしゃっていましたが、これに私は賛成です。この「
明神湖」をみて(これは恐らくダムでは最小規模なのだと思います)そう確信しました。
さてなんだかびっくりした気持を引き摺りながらとにかくも歩き出しました。

途中に出会った史跡は、
「渡辺家(今も居住されているのでしょう)」「弥八の泉」「岩崎神社」「半兵衛水車小屋」。


この半兵衛水車小屋は水車が廻っていました。「伝統的里山の農村環境と水資源の保全の為の交付金を受けて作られた」とありました。「ダム」も税金で、「水車」も交付金で「両極端の景観」を持とうとしているのでしょうか。欲張りすぎのような気がしてだんだん腹立たしくなってきました。
曹洞宗禅憧寺:北へ400m竹中一族の菩提寺です。俳人傘狂(さんきょう)大野瀬兵衛の墓もあります。


現在の本堂は1663年重常の建立です。元は薩摩国金鐘寺の正磧和尚が開祖といわれています。
雪害で屋根などが破損して寄進を募っておられました。それこそダムに使った何分の一かで出来そうなのに、本当に本末転倒のことですね。
しかしこれも
ここに居住する人の総意とされているわけですから、お寺さん自身の働きかけがとても大切だと思うのです。住人の中の知識人としての代表で文化や教養に対して自ら働きかけて
街を守るのに一役買って欲しいと本当に思います。

境内で見つけた
「アサギマダラ」。
県史跡・竹中氏陣屋跡住所:不破郡垂井町岩手619-2(駅から直接来れば45分)
駅から直接の場合:駅北口から北へ250mを左折れすると宿場町の屈曲する町並みに旅籠亀丸屋があり、さらに行くと十字路。右に府中(美濃国府)道を行き途中の三叉路で左で岩手橋。左手に伊吹山を見て歩けば岩手小学校の門として転用された大きな櫓門にであうようです。


私は
明神湖から下ってきました。行きには見つからなかったのはもう少しほんのちょっと北だったのです。岩手小学校にあったのです。今は通用門にはなっていないのでしょう。
小さくではありますが、さすが
立派な遺構が残っています。
美濃岩手城主・竹中半兵衛重治は信長・秀吉の天下統一に軍師として功をあげました。
「知らぬ顔の半べいを決め込む」の言葉の人です。
その子重門は関が原の合戦では東軍として、「小西行長生捕り」の功をあげ、岩手付近の中山道沿い5000石を恩賞として手に入れ旗本になり以後竹中氏の居城となります。
遺構は、正門の櫓門(間口6軒奥行き3間も木造白壁塗り)、その周りの濠(幅5m長さ20m)・石垣(南6m内・袖石垣5m、北2m)・土塁。
塀の上に登って小学校の校庭を見てみました。結構な高さになります。
この建物横には「
菁莪記念館」があり、「
美濃派15世の道流継承者・国井化月坊」また江戸時代から明治時代に若者に流行った「力くらべ」に使用した「
力石」、そして郷土の有名人「
神田柳渓」など雑雑とした史跡説明も並びます。
さてこれで目的を達したのですが「
美濃路の松並木」はどうしても今回
チェックしたいので長丁場の道をテクテク歩いていきました。
出会う中学生はとても愛想がよく「コンニチワ」と元気に声を掛けてきます。田園の中の道を自転車を引っ張ってどこへいくのでしょうか。時折であいました。右手からは大きな音楽が鳴っていて帰宅後調べた「ふれあい垂井ピア」の音だったようです。途中大変大きなお寺「
飛雲山 徳法寺」がありました。何の説明もないお寺でしたが作庭が素敵でした。

中山道は今、生活道路になっていて、車がひっきりなしに通り、右手の相川沿いには河川敷公園が広く造られていました。工事車両が川に向って作業中でした。
追分の道標と松並木岩手橋、みどり橋、
相川橋で追分になります。東詰めにあります。
中山道と東海道を結分岐点。「右大垣道」「左木曽街道たにぐみ道」の道標。
美濃路は五街道に次ぐ重要な脇往還です。宿駅や松並木、一里塚が置かれていました。
一里塚としては現在は2ヶ所残るのみです。そしてこの松並木は1キロほどに及ぶものです。

美濃路全体としては、
中山道・垂井から大垣、墨俣、起、萩原、稲葉、清須、名古屋の七つの宿を経て東海道・熱田宿まで14里24丁(58キロほど)余りの街道です。


ここには「
お休み処 追分庵」があり、たくさんの世話役の方がおられ、パンフレットを頂きました。この日は「
美濃路ウォーキング」がありおそらく大垣からここまで歩かれたのか大勢の方がゾクゾクと来ておられました。
私は逆方向になるのですがとりあえず手前の「
松並木」まで往復しました。
相川橋をわたり「
東の見附」「
旅籠丸亀屋」「
垂井宿問屋」などを経て
JR垂井駅北口に戻ったのが1時43分でした。


南口に降り立ってから
6時間のウォーキングでした。
明神湖までが3時間50分明神湖から美濃路経由JR垂井駅が2時間10分。史跡が多いので時間が充分必要になります。低山を歩くだけと違って、少し疲れました。
byニコちゃんでした。
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