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2009年11月12日

愛犬用品【光るグッズ】のご紹介!!

11月12日(木)昨日は大変な雨、そして今日は青空が広がりました。わーい(嬉しい顔)
諺の通り様々に変化する秋のお天気です。
プレゼントさて今日は久しぶりに当店「おススメ商品」を選びました。

光る愛犬グッズ

ナイトアイズ メテオールライト【光るボール】1995円
この流星と名づけられた、[METEORLIGHT]は、光るボールです。
Disc-O!は、別名マルチカラー、と言っています。次々と変化していく明かりは、見ているだけでも楽しくなってしまします!
その他の光は「レッド」「ブルー」「グリーン」もございます。
良く弾むボールなので、日中、ライトをつけなくても十分楽しむことができます。
夕方から夜にかけてライトを点灯させるととてもキレイで、まさに、流星のように飛んで行きます。
また、水にも浮くので、海辺や川原などで遊ぶのもきっと楽しいことでしょう。

ナイトアイズ ナイトドッグ【光るリード】2940円
この犬用のリードは、人だけでなく家族の一員としての地位が高まりつつある愛犬のためにも、夜間などの安全を確保しようと考えられました。
全体に光るような仕組みになっていますが、熱を持たないため安心してお使いいただけます。
犬用の光る首輪とあわせてご利用になると、さらに安全性も高まり、夜間のお散歩も安心です。

ナイトアイズ ナイトドッグ【光る首輪】3150円
この犬用の首輪は、人だけでなく家族の一員としての地位が高まりつつある愛犬のためにも、夜間などの安全を確保しようと考えられました。ライトですが、熱を持たないため、通常の首輪と同じようにお使いいただけます。

byニコちゃんでした。わーい(嬉しい顔)

【本店ショップのご案内】
自然を楽しもう!を合言葉に、普段使いにも便利で楽しいアウトドア雑貨をたくさん掲載しています。ぜひご利用下さい!
(商店名をクリックするとページが開きます)
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※本店2店では多少ラインナップが異なります。お好みでご利用ください。
posted by ぐろぶ at 13:25| 岐阜 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 私のおおススメ商品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月11日

織部の里もとすの史跡と寺社めぐり!!

11月11日(水)奈良県での発掘調査の結果長年の「邪馬台国」論争が畿内説に落ち着くのでしょうか。わーい(嬉しい顔)
本かつて「作家・松本清張」たちの書籍流行と共に日本国内に沸きあがった「邪馬台国はどこ?」。一般の人々を歴史の謎に引き込みましたね。
本さて今日は11月9日に訪ねた本巣の歴史史跡のご紹介です。史跡はどれもひっそりと忘れられたように残されていたようですが、それでも「文殊の里」から岐阜市御望のバス停犬塚までの5キロあまりの道を歩く退屈は凌いでくれました。

古田織部
1543年から1615年
安土桃山時代の茶人。茶道織部流の祖。名は重然(しげなり)。美濃の人。
千利休の高弟。初め豊臣秀吉に仕えて同朋。秀吉の死後隠居し、茶道三昧の生活にはいった。茶匠としての名声が上がり、関ヶ原の戦には徳川方にして功ありとして大名に復した。徳川家の茶道師範と称されたが大阪夏の陣で陰謀を疑われ自刃。(広辞苑より)
織部焼き
桃山時代、現在の岐阜県土岐市で焼かれた陶器。古田織部の好みに沿ったものといわれ茶器が多い。緑釉と鉄絵を加え、殊に意匠が斬新。(広辞苑より)
満月この他織部の名のついたものに「織部形灯篭」「織部盃」「織部床」「織部窓」「織部饅頭」などがあります。

さてこの織部の里の地元の史跡を帰路の順番にご紹介いたします。

山口の条里跡
場所:道の駅織部の里もとすの道を渡ったすぐ前
645年の大化の改新で口分田を分けるための地割として条里制が用いられました。
この山口から穂積町・十九条まで本里の跡を見ることが出来るようです。
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楞厳寺(りょうごんじ)・乳薬師堂
場所:この山口の条里から文殊の森に向かう途中です。
お乳の出ない母親がお参りするとお乳が出るようになるといわれる乳薬師如来像。
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祐向城が没落するときに姫が城を出て樫の朽ちた大木に子供を産み落とし逃げ、その子を鳩が餌を運んで育てたということに村人が驚き薬師如来の化身として像をお祭りしたということです。

毘沙門天像
乳薬師からすぐの山裾にあります。空海作の毘沙門天像
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中を覗いて空海作という像を見てみたのですが足しか見えませんでした。堂宇は朽ちた幹事でしたが、思ったより大きそうな立派(?)な像に見えました。
やはり祐向城主が北の守り仏として祐向谷の奥深くに堂宇もなく置かれていたものを1711年(正徳年間)に現在の場所に移されました。
4月26日には祭礼が行われるようです。

白鬚神社(しらすじんじゃ)
歯痛止めの神社。
場所:法林寺谷の流れに沿って歩き本巣中学校の前に橋が掛けられてあります。
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歯痛の方は檜箸をお供えし賽銭をあげれば直るようです。

文殊陣屋跡
白鬚神社からすぐの畑の中にポツリと碑が立っています。
徳川幕府旗本戸田氏は1668年から文殊法林寺村を治めたようです。
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昭空寺(しょうくうじ)
場所:白鬚神社から歩いていくと金谷用水の水門に出会います。そこから東へ一番山のふもとの旧道に沿ってあります。
徳川幕府旗本戸田氏によって1698年(元禄11年)八幡神社の前から今の場所に移され、戸田光正公母堂の菩提寺になりました。
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八幡神社
佐々木小次郎直筆の額。
960年(天徳4年)多田満仲の建立。
昭空寺からすぐですが、鳥居の「八幡宮」の字は佐々木小次郎の直筆というわりに外灯などとりつけられて真偽の程が疑えます。境内には天然記念物のシイの木の大木や、大変趣のある古い狛犬がいました。
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大亀寺(だいけいじ)
本尊・文殊菩薩
大きな「文殊菩薩」の碑からかなり中まで入ります。深閑とした境内の中に2匹の大亀の置かれた本堂にはビックリします。
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曹洞宗派。1528年白橿城主長井左金吾長弘によって祐向城(いこうじょう)が築かれ次いで、文殊堂を造り文殊菩薩をここに安置しました。

善永寺
NHK大河ドラマ「国盗り物語」ゆかりのお寺。
TV「国盗り物語」はかなり古い1973年に放映、織田信長・高橋英樹、斎藤道三・平幹二郎、明智光秀・近藤正臣の豪華布陣。原作は司馬遼太郎。
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1580年(天正8年)土岐一族が開基し織田信長との「石山合戦」で手柄を立て、陣鐘「麒麟鐘」と「顕如上人御寿像」を賞としてもらいうけました。
織田信長と石山本願寺・顕如上人のこの「石山合戦」は後の本願寺にとっては分裂の元にもなりまた、信長の気の置けない戦国時代の大きな戦の一つですが今はこの土岐氏のお寺も何事のなかったかのように静かにたたずんでいました。

フリーダイヤルこれらの史跡・寺社をみた後私はバス停を探して時間を確認しましたが、大変間が空いてしまい結局バスが来るまで歩けるところまで歩きました。本巣町をすぎ丁度岐阜市に入った御望の「犬塚」のバス停でバスに乗り込み終点・岐阜大学病院で乗り換え自宅まで帰りました。岐阜まで歩けない距離ではなかったのかもしれませんがちょっと疲れたので途中からバス利用でした。(ちなみに大学病院なでは乗客私一人でした。290円)

byニコちゃんでした。わーい(嬉しい顔)

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「国盗り物語」ゆかりのお寺善永寺は下記です。

posted by ぐろぶ at 16:47| 岐阜 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 岐阜の山や見所など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月10日

岐阜・本巣「文殊の森・山口城跡344.5m」に出かけました!!

11月10日(火)今週はお天気が崩れるようですね。わーい(嬉しい顔)

琴の音は 松の葉風に 西ときく 常盤の松の 色はかわらじ
                     (伝・古田 織部)


文殊の森公園(山口城跡344.5m)
住所:本巣市文殊1-109
訪ねた日:2009年11月8日(日)
足前からとても気になっていた文殊の森へでかけました。
ここには二つの城跡「山口城跡」と「祐向山城跡」があると調べていました。
フリーダイヤル地図などで見ると岐阜からは大変近いイメージがありますが、車の普及や過疎によるバス路線廃止、及び名鉄電車の廃止などにあい現在は大変不便な場所になっています。車で行くことを想定された「自然の森」なのです。これがいつも私の引っかかる「矛盾」の最大のものです。
曇り訪ねた8日(日)は幾分雲の多い温かい日でした。
新幹線JR岐阜駅を8時28分の列車に乗り大垣駅で下車。構内を一番外れにある「樽見鉄道」の乗り場へ向います。前もって調べている時間は「9時10分」。大分余裕がありますが自宅からのバスの時刻やなんやらでなかなか無駄な時間になりますが、のんびり行くより仕方がありません。待合室とかもなくもうすでに来ている方もウロウロして待ちます。手書きの切符「織部まで510円」。
exclamation駅名に○をうって複写伝票みたいになっています。
新幹線電車が到着し、下車の方が終ると一度ドアが閉まり、しばらくするとおもむろに開扉。
ピンクの1両編成の電車です。ワンマンなので後ろ乗り前降りです。
ゴトゴトと本巣一体の富有柿畑の中を走り、若者は「モレラ岐阜駅」で殆ど下車。
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残った乗客は「本巣駅」で皆下ろされ向かいに停まっているグリーンの電車に乗り換えます。「織部」は次です。私一人の下車。ここから先は不便なりに、景勝の地の駅が続きます。
「織部駅」到着は9時44分。
トイレのある「道の駅織部の里もとす」はすぐそこなので行ってみると駐車場は満車。観光バスは入りきれず路上駐車。びっくり!!ナニこれ!!です。
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帰路に使おうと、岐阜行きのバスの時刻をチェックしてみましたがやはり望みは薄くありません。諦め、早々に退散し歩き出します。
信号を渡り里へ進みますがここには案内板等は何もなく石碑「山口の条里跡」がポツリ。
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くつ柿畑のなか延々と歩きました。時折「文殊の森へ」の看板をみます。歩くこと50分(20分と書かれていたけれど)で管理棟ふれあい館に到着しました。

文殊の森
管理棟ふれあい館前の案内板をみると沢山の道があるため管理棟の人に頂ける地図はないか訪ねましたがありませんとのこと。また案内板に載っている「祐向山城跡」まで行けれるか聞いてみたら「案内板はありません、行けるにはいけますがどうでしょう」ということでした。
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仕方がないのでとりあえず地図を写真に収め、この森をぐるっと外回りで歩くことに決めました。
くつ10時35分。歩き始めるとすぐに子供達の歓声がきこえ木の間から背の高い遊具が見えています。木々はすでに落ち葉を落とし秋の彩りになっています。舗装された道をゆっくりあがり途中左手にある「どんぐりの道」という山道に入りました。とても気持のいい秋満載の道が続きました。
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「四季の展望台」到着。
南方面に展望が広がりしっかりした東屋。
これが各広報に掲載されている「文殊の森」の顔のようです。すでにお休みの方や往来の方もあります。男性の一人歩きの方ばかりです。
くつ一度舗装道路に降り向かいの「山口城跡」へ階段で登ります。舗装の道は「バードウォッチングの道」となっていました。
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フリーダイヤル山口城跡までは景観がとても良く階段に疲れて振り向けば本巣の町や畑がいつも見られるし、両側の木々も秋の色に変化しています。モミジも赤くなっている木も見られました。出会ったご夫妻は私が始めてというと「この山道は本当に気持のいい景観、紅葉とかでなく全体がいい」といって降りて行かれました。

山口城跡344.5m
中の城跡広場に「鳥が鳴く展望台」があり一気に山頂になります。
exclamation×2山口城跡は織部焼きで有名な「古田織部重然」の城跡になります。
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本この文殊の森には3つの頂上があり昔から「東の城」「中の城」「西の城」と呼ばれてきたようでこの「山口城跡」が一番はっきりと分かっている「文殊の城」のようです。何人もの城主が代わり古くは中世に遡るようです。文殊地域自体が「織部の里」として地域越しをしているようです。
黒ハート私自身は「古田織部」はやはり「武将」としての印象より「茶人」として深い想いがあります。
この頂上のどこかに「茶人・古田織部」を探しますが、やはり「兵どもの夢の跡」しか見つけることはできませんでした。
さて今度は尾根の道を通って「望郷の展望台」へ一端下ります。
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くつ先ほどの舗装道「バードウォッチングの道」は「古城の小道」と名前を代え途中で合流します。本当にご夫妻の方がおっしゃっていた通り気持の良さでおススメの道です。
望郷の展望台
ここは祐向山への入り口になります。「四季の展望台」におられた方がバードウォッチングの道で早くついてベンチで休んでおられました。私は「祐向山・いこうやま」へ行って見ますといって下りに行ってみましたが5分ほど行った所で行き詰りました。
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テープは何本もあるのですが踏み跡が見えないし、倒木や生い茂った木々が行く手を遮ります。断念して「○○調査Y593」の支点から引き返しました。先ほどの方が「テープは地元の人もつけているから登山道とは限らんよ」とおっしゃったのでよけいビックリしました。一応管理棟入り口の案内地図には「斎藤道三城跡」として載っているので是非登山道を整備して欲しいですね。
本調べてみると祐向山城には一時斎藤道三も入城しています。また斎藤道三の孫といわれる斎藤龍興も稲葉城からここ祐向城を経て揖斐城へ逃げているようです。この人は悪名高い人であったとかキリシタンに心頭していたとかいろいろ言われていますが若年のためなかなかはっきりしないものがあるようです。ただし先日私が訪ねた「竹中半兵衛」にたいしては重陽していないことは事実であるようです。そのことから武将としての寿命を短縮してしまったようです。
祐向山城自体は1568年に織田信長によつて攻められそれ以後廃城となっています。
フリーダイヤル望郷の展望台自体も展望は良好でした。
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くつ下りはこの森の東の端に当たる「花の森」から「サクラの小道」をぐるっと歩きコテージのある場所におりました。こちらの道はやはり整備された道としての印象でまだまだ木が植林された山面は木の自然さに少し欠けました。
しかし気持のいい道でこのコテージに宿泊して一日でも散策してみたいなと思いました。
コテージから管理棟へでて12時20分。1時間45分の所要時間でした。
帰路は地元の史跡を訪ねることにしてバーベキューをしている人を横目にみながら柿の里へ戻りました。
史跡については明日ご紹介いたします。

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「安土山199m安土城天主閣跡」10月10日の動画!!

11月10日(火)わーい(嬉しい顔)
大変遅れましたが10月10日(土)に訪ねた滋賀県安土の安土山199mの動画をご紹介します。「火天の城」のお城の跡です。
なお詳細は10月15日の当ブログにて紹介しています。

安土山199m安土城天主閣跡



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2009年11月09日

岐阜「三田洞弘法から百々ヶ峰417.9m」に登りました!!

11月9日(月)落ち葉が舞い秋の彩が深まっています。わーい(嬉しい顔)
11月3日(火)はとても寒い朝でした。前の日が雨であったのが嘘のように晴れ渡っていました。
がく〜(落胆した顔)この日岐阜市の岩崎にある「眉山」に登ろうとでかけました。ところが岩崎に着いてもどの山か、どこが登山口か分からなくてあちこちしました。東海自然歩道に沿っているはずなので地元の方に尋ねても「ここのへんは自然歩道や遊歩道はないよ」という返事でした。資料と照らし合わせ恐らくここであろうと思う小道を見つけましたが、突き当たりに民家がありその横に竹やぶのなかに向かうかすかな道があるのですが、入り口には、横に1本竹が渡してあったので、もう登ってはいけないのだろうか、と遠慮することにしました。
くつせっかくここまで来たのだからと向かいの「百々ヶ峰」に登ろうと向いました。
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車道を横断歩道で渡ると、ありました。「東海自然歩道」の道標です。やはり間違いはなかったようです。この百々ヶ峰から石谷までの東海自然歩道はとても歩きにくい距離のようです。
椿洞に産廃事件も起きたりして避けたい道であることも本音です。それにしても道標くらいは役所で管理しておいてもらいたいですね。設定から35年たっても人の歩く道ですから危機管理からもお仕事だと思います。将来を見据えた、長く考えた「自然歩道」や「市民の森」を整備して欲しいですね。
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さてこの自然歩道の道標から、三田洞弘法までがまた一苦労でした。鳥羽川をどの時点で超えるのか道標がないのです。とにかくまっすぐ歩き川を渡り、車道を2本越して、ガソリンスタンドで訪ねてようやくたどり着きました。この間に1時間50分ほど消費してしまいました。

百々ヶ峰417.9m
くつ9時50分。久しぶりの三田洞弘法です。それも三田洞から百々ヶ峰へ登るのは本当に久しぶりです。天然温泉「三田洞神仏温泉」は休業中です。弘法様(地元では皆こうよんでいます)では外国の観光客の方が写真を写して楽しんでおられました。
(三田洞弘法は「霊露山法華寺」が正式名称です。)
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車(RV)登山口の駐車場は満車に近い盛況でした。
くつ400段を超える階段で一気に高度を上げる登山道です。行き交う人も数組あります。息があがりますがこの日は気温が低く丁度体を動かすには最適です。山々の彩りはまだまだ紅葉には程遠いですが、それでも充分目を楽しませてくれます。
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権現山375m
鉄塔のある分岐(権現山)から今度は一気に下ります。
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百々ヶ峰を目の前にしながら、急な下りですが風も心地よく快調です。トイレのある峠に降り立ちすぐ前の階段を登り頂上まで一息。
権現山が目の前に見えます。こちらは紅葉も少し進んでいるだけに風も寒く体に吹いてきます。風の音。
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位置情報頂上には数人の人たち。10時34分。44分の上りでした。しばし景色を楽しみます。
くつここからは整備された林道で白山展望所まで楽々徒歩。本当ならもう一度権現山まで登り返し登山道を歩いたほうがいいのでしょうが何となくこちらへ来てしまいます。
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白山展望所にはたくさんの子供達が若者に引率されて登っていました。ちょっと多いのでそのまま「芝生展望台」まで500mの案内で途中の展望所までを往復しました。
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この展望所は今回初めてです。まるくなった尾根にベンチが設置されていました。とても気持がいい場所でした。今登った百々ヶ峰を見ながら小休止。
白山展望所に戻り、今度は松尾池まで暗い木々の中を下山します。川音が聞こえるなかの静かで気持の安らぐ下山でした。萩の滝を経て松尾池へ下り、その後長良おぶさの雄日ヶ丘公園へ立ち寄り秋の一日を楽しみました。
黒ハート萩の滝、松尾池、雄日ヶ丘公園は11月6日にご紹介いたしました。
ずれも紅葉と黄葉の名所です。これからがだんだん美しくなることでしょう。

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三田洞弘法・百々ヶ峰登山口は下記です。


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「京都・修学院離宮」10月23日の動画です!!

11月9日(月)
大変遅れましたが10月23日(金)に訪ねました「京都・修学院離宮」の動画です。わーい(嬉しい顔)
足何せ説明が早く付いていくのに大変、まして他の観覧の方が写らないようにしているため画面がぶれてしまっています。
なかなか簡単に拝観できない(予約制)ところですので、ご覧下さい。かわいいまた今はそれから半月たっています。きっと紅葉もすすみより一層美しさを増していることでしょう。
また写真は10月27日(火)に掲載しています。お楽しみ下さい。

京都・修学院離宮


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2009年11月06日

岐阜の紅葉「松尾池」黄葉「雄日ヶ丘公園」のご紹介!!

11月6日(金)松井選手が大活躍をしています。わーい(嬉しい顔)
日本では松井選手は芸能人のような扱いをされていたように思いますが、今は一流の野球選手として写ります。頑張ってください。
11月3日(火)はとても寒い朝でした。前の日が雨であったのが嘘のように晴れ渡っていました。
かわいい今日は岐阜での紅葉スポット2件ご紹介です。どちらも訪ねたのは11月3日(火)で、今日の時点ではどうでしょう、もう少しすすんでいるでしょうか?

松尾池
住所:岐阜市長良雄総
本1885年に農業用貯水池として造られましたが、濃尾地震で形態を無くしました。1932年に当時の市長・松尾国松の名前から「松尾池」とつけられ整備されました。
家その後たもとに合掌造の「岩舟荘」が移築されその後沢山の人が訪れる観光スポット(?)になりました。
足「東海自然歩道」「百々ヶ峰」とともに自然にマッチした景観をもっています。
「ぎふ水とみどりの環境百選」「ぎふ三十六景」になっています。
くつこの日は百々ヶ峰登山の下山で寄りました。下山してくると、川音が聞こえるのでとても安らぎます。萩の池は水量も多く見ごたえがありました。
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松尾池に到着。11時43分。
カメラ松尾池は大賑わい。カメラマンのみならず散策の方が多い。
カモやオシドリの泳ぐ姿に歓声もあがります。合掌造り茅葺のお店(お休み)がとても秋らしい風情です。
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exclamation&question余りの混雑にビックリしながら岩舟園地を左手に見ながら長良おぶさの町にもどりました。
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車(RV)駐車場はありますが堤防から細道ですのでこの時期歩行の方もありますのでくれぐれも注意をして、お出かけ下さい。
足徒歩でも充分行かれます。長良川堤防からは「岩舟緑地」が続き気持のいい道になります。車でこられる方が多いので、車には要注意です。
バス停中川原からは30分ほどです。
バス停おぶさから1時間10分ほどです。
松尾池は下記です。


雄日ヶ丘公園のイチョウ
住所:岐阜市長良雄総中川
140本のイチョウが四角の公園を取り囲んでいます。
堤防をから車で走っていてもここのイチョウの黄葉はすばらしいものです。
すべての木が黄色くなった中では毎年子供達の歓声があがります。
今年はどうでしょう。3日はまだ3分ほどしか黄色にはなっていませんでした。
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車(RV)ここでは路上駐車になるためなるべく徒歩でお出かけ下さい。
足長良おぶさバス停から長良川畔の遊歩道旅館・石金から岐阜グランドホテルまで歩き堤防にでて、歩道を歩きます。アピの保養所の前を下に「おひつや」まで下りそのまま東へまっすぐ行けば木々が高く聳えていて分かります。
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徒歩40分位です。
また堤防の中川原停車場からでしたら徒歩10分位です。
公園は下記です。


byニコちゃんでした。わーい(嬉しい顔)

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2009年11月05日

「菩提山城跡402mと中山道垂井宿 その二」のご紹介!!

11月5日(木)最近は実際の季節と情報社会で流される季節がイッチしなくて目を白黒、11月になったとたん、クリスマスだの、お歳暮だの、早すぎます。わーい(嬉しい顔)
かわいいまだ紅葉も充分楽しめていません。これから秋から冬への変化を楽しむ時期ですから。
さて、今日は昨日に続き「中山道・垂井宿と菩提山城跡」のご紹介です。

菩提山・菩提山城跡402mと中山道垂井宿 その二
岩手のヤマモモ、五明稲荷、菩提山城跡、明神湖、禅幢寺、竹中半兵衛陣屋跡、追分、松並木

くつ八重垣神社・垂井小学校を後にして、相川に掛かる岩手橋を渡りあじさいロードと名づけられた田園の中を通る中山道を歩きました。ここには民家は殆どなく田園風景の中の道です。道路脇には「ふれあい垂井ピア」の旗が何本もはためいていてとても気になり帰宅後調べました。
本ふれあい垂井ピアは、主催は垂井商工会議所で朝倉運動公園で行われる交流とふれあいの行事。10月31日、11月1日の両日いろんな歌やゲームの遊びの広場のようなものらしい。こんな行事が行われているとは考えられない静かな町並みでしたが、朝倉公園までは車ででかけてしまわれるのかな、町には歩いている人は殆ど見かけなかったけれど。
フリーダイヤルさてこの道は長いのを覚悟していましたが途中にいろんな史跡がありました。
垂井町指定天然記念物「岩手のヤマモモ」
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通常ヤマモモは四国・九州に生育する暖地性の常緑高木で、寒冷地になる垂井岩手に際立って自生するのは大変珍しいようです。3、4月に赤い花を咲かせ6、7月に実がなります。
五明稲荷
ここは松寿丸(後の黒田長政)のお手植えのイチョウがあります。(枯れていたのか養生中のようでした)
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本天正6年竹中半兵衛が三木城攻略中に摂津有岡城主荒木村重が信長に反旗を翻し、竹中半兵衛の親友・黒田官兵衛が説得に行きます。ところが逆に捕まり幽閉されます。信長は黒田官兵衛も寝返ったと怒り、嫡男の松寿丸を討つよう竹中半兵衛に命じます。
竹中半兵衛は官兵衛を信じ、松寿丸をこの五明にかくまります。やがて潔白が証明され許された松寿丸がここにイチョウを植えて感謝したということです。
後の黒田長政です。その後秀吉の朝鮮出兵に従います。関が原の合戦では東軍につきます。 「黒田節」の九州福岡筑前52万石です。
exclamation一つの史跡に沢山のドラマが含まれ歩いていてもなかなか先に進めません。歴史のお好きな方なら余計にいろいろ思われることでしょう。
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くつそうこうしているうちにようやく岩手小学校があり「菩提山ハイキング」の大きな看板を見つけます。垂井駅に降り立ってから丁度2時間が経っていました。
私の調べではここの岩手小学校の門に史跡の櫓門があるはずでしたが歩いて「菩提山」に向いながら小学校の門にいってもごくごく普通の門。exclamation&question
???と思いながらとにかく「ハイキングコース」へ向いました。
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くつJRの線路に突き当たると大変立派なトイレと休憩設備。何も説明もなく「熊出没注意」「東海自然歩道と大滝」の表示。「菩提山ハイキング」とか「登山口」の表示もありません。このあたりをうろつき堰堤の池に突き当たったり、藪ばかりの山道に少し入ったりして時間を少しロスします。がく〜(落胆した顔)
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わーい(嬉しい顔)やがて東海自然歩道を少し関が原方面へ向ったあたりの小脇の看板に気がつきます。
そこから一気に白山神社を見つけようやく登山ではいれました。
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菩提山・菩提城跡402m
くつ10時05分。白山神社登山口からすぐに階段を登ります。薄墨桜の看板があります。
少し登った位置に松尾芭蕉の歌碑があります。
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ペン元禄4年ころの大干ばつ・大凶作のおり人々を詠んだ一句。

此の山の 悲しさ告げよ ところほり (はせを)

白山神社の本殿の左脇から山道になりますが殆ど全山木の階段と思っていいほど階段です。
315段を登りきって少し歩くとまたまた100段ほどの階段。
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途中明神湖への分岐まで130段ほど。そこがこの登山で唯一明るくなった場所。鉄塔のために木が切られ開かれています。
くつそこから頂上まで250段ほど上り詰めます。途中「明神山2時間 菩提山10分」の標識。ネットで明神山に登られた方のページを読んでいたので2時間もかかって大変そうと感心しきりで菩提山に向います。
位置情報山頂到着10時43分。35分の登りでした。
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菩提山はさすが山城跡。広々としていますが展望は一方のみです。
本丸・二の丸・三の丸など7つの曲輪があり150m×300mの西美濃最大級の山城であったとされています。竹中半兵衛重治は父重元の時からここに居住していましたが息子重門は山を下り岩手に陣屋を構えました。
「もみぢ」はまだ紅葉には程遠く「青紅葉」。しかし心地よい風にしばし休憩。
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左斜め下こんどは先ほどの分岐までもどり「明神湖」まで下ります。こちら側はどんな道でしょう。下りの道は上りよりも少しワイルド。
下山したところは「船ヶ谷林道」でした。林道脇には川がながれ渓谷に沿っています。
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そして急に新しい道路とその道路をくぐる細い道。「岩崎神社」方面へ誘導されます。「明神湖」の表示がありません。
すぐに右手に巨大なダムが建ち聳えていました。民家のすぐそこにあるのです。
exclamation&questionビックリしながら急な階段を230段ほど登ってみると「明神湖」でした。

明神湖
exclamation総工費:28億5000万円
exclamation建築日:1973年から1987年の14年間
exclamation目的:農地災害を「未然に」防ぐため
exclamation広報では「周辺は四季折々の自然に恵まれ眺望もよく新たな観光地として訪れる人が増えている」とされています。
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ふらふら私が来たこの日はバイクの方が一人だけ。それに私。
新たな観光施設になっているとは思いがたいですね。
このダムを未然に「28億5000万円」で造り自然は良くなったでしょうか。
人々の暮らしは安全になって農地は守られたのでしょうか。
見たところダムが何らかで決壊した時の方が怖そうな景色です。
恐らくこのダムに吸い込まれた山の自然の方が安心できたのではないでしょうか。しかしこうなってしまっては後の祭りです。
ふらふら私の知らない日本中の山々でこうしたダムが建設され何億円もの税金がコンクリートにきえたのでしょうか。先日テレビで鳥越俊太郎さんがそのお金を「癌の研究」に一刻も早く使って欲しいとおっしゃっていましたが、これに私は賛成です。この「明神湖」をみて(これは恐らくダムでは最小規模なのだと思います)そう確信しました。
さてなんだかびっくりした気持を引き摺りながらとにかくも歩き出しました。
くつ途中に出会った史跡は、「渡辺家(今も居住されているのでしょう)」「弥八の泉」「岩崎神社」「半兵衛水車小屋」。
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exclamationこの半兵衛水車小屋は水車が廻っていました。「伝統的里山の農村環境と水資源の保全の為の交付金を受けて作られた」とありました。「ダム」も税金で、「水車」も交付金で「両極端の景観」を持とうとしているのでしょうか。欲張りすぎのような気がしてだんだん腹立たしくなってきました。

曹洞宗禅憧寺:北へ400m
竹中一族の菩提寺です。俳人傘狂(さんきょう)大野瀬兵衛の墓もあります。
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本現在の本堂は1663年重常の建立です。元は薩摩国金鐘寺の正磧和尚が開祖といわれています。
雪害で屋根などが破損して寄進を募っておられました。それこそダムに使った何分の一かで出来そうなのに、本当に本末転倒のことですね。
しかしこれもここに居住する人の総意とされているわけですから、お寺さん自身の働きかけがとても大切だと思うのです。住人の中の知識人としての代表で文化や教養に対して自ら働きかけて街を守るのに一役買って欲しいと本当に思います。
かわいい境内で見つけた「アサギマダラ」。
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県史跡・竹中氏陣屋跡
住所:不破郡垂井町岩手619-2(駅から直接来れば45分)
駅から直接の場合:駅北口から北へ250mを左折れすると宿場町の屈曲する町並みに旅籠亀丸屋があり、さらに行くと十字路。右に府中(美濃国府)道を行き途中の三叉路で左で岩手橋。左手に伊吹山を見て歩けば岩手小学校の門として転用された大きな櫓門にであうようです。
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くつ私は明神湖から下ってきました。行きには見つからなかったのはもう少しほんのちょっと北だったのです。岩手小学校にあったのです。今は通用門にはなっていないのでしょう。
小さくではありますが、さすが立派な遺構が残っています。
美濃岩手城主・竹中半兵衛重治は信長・秀吉の天下統一に軍師として功をあげました。
本「知らぬ顔の半べいを決め込む」の言葉の人です。
その子重門は関が原の合戦では東軍として、「小西行長生捕り」の功をあげ、岩手付近の中山道沿い5000石を恩賞として手に入れ旗本になり以後竹中氏の居城となります。
遺構は、正門の櫓門(間口6軒奥行き3間も木造白壁塗り)、その周りの濠(幅5m長さ20m)・石垣(南6m内・袖石垣5m、北2m)・土塁。
フリーダイヤル塀の上に登って小学校の校庭を見てみました。結構な高さになります。
この建物横には「菁莪記念館」があり、「美濃派15世の道流継承者・国井化月坊」また江戸時代から明治時代に若者に流行った「力くらべ」に使用した「力石」、そして郷土の有名人「神田柳渓」など雑雑とした史跡説明も並びます。

さてこれで目的を達したのですが「美濃路の松並木」はどうしても今回チェックしたいので長丁場の道をテクテク歩いていきました。
出会う中学生はとても愛想がよく「コンニチワ」と元気に声を掛けてきます。田園の中の道を自転車を引っ張ってどこへいくのでしょうか。時折であいました。右手からは大きな音楽が鳴っていて帰宅後調べた「ふれあい垂井ピア」の音だったようです。途中大変大きなお寺「飛雲山 徳法寺」がありました。何の説明もないお寺でしたが作庭が素敵でした。
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中山道は今、生活道路になっていて、車がひっきりなしに通り、右手の相川沿いには河川敷公園が広く造られていました。工事車両が川に向って作業中でした。

追分の道標と松並木
岩手橋、みどり橋、相川橋で追分になります。東詰めにあります。
中山道と東海道を結分岐点。「右大垣道」「左木曽街道たにぐみ道」の道標。
足美濃路は五街道に次ぐ重要な脇往還です。宿駅や松並木、一里塚が置かれていました。
一里塚としては現在は2ヶ所残るのみです。そしてこの松並木は1キロほどに及ぶものです。
足美濃路全体としては、中山道・垂井から大垣、墨俣、起、萩原、稲葉、清須、名古屋の七つの宿を経て東海道・熱田宿まで14里24丁(58キロほど)余りの街道です。
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喫茶店ここには「お休み処 追分庵」があり、たくさんの世話役の方がおられ、パンフレットを頂きました。この日は「美濃路ウォーキング」がありおそらく大垣からここまで歩かれたのか大勢の方がゾクゾクと来ておられました。
私は逆方向になるのですがとりあえず手前の「松並木」まで往復しました。
相川橋をわたり「東の見附」「旅籠丸亀屋」「垂井宿問屋」などを経てJR垂井駅北口に戻ったのが1時43分でした。
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くつ南口に降り立ってから6時間のウォーキングでした。
明神湖までが3時間50分明神湖から美濃路経由JR垂井駅が2時間10分。史跡が多いので時間が充分必要になります。低山を歩くだけと違って、少し疲れました。

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2009年10月22日「京都・時代祭」動画!!

11月4日(木)わーい(嬉しい顔)
大変遅くなりましたが今年の「時代祭」の動画をご紹介します。
2000人の行列の最も最初の列です。
明治維新の軽快な楽隊です。



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2009年11月04日

「中山道垂井宿の史跡と菩提山ハイキング」「その一」のご紹介!!

11月4日(水)昨日は全国的に大変な冷え込みで、岐阜では高山市に雪が舞う映像がテレビで紹介され、東海北陸自動車道では「チェーン規制」があったようです。わーい(嬉しい顔)
車(RV)この時期この岐阜県では「チェーン」は必携になります。
奥美濃、飛騨、そして関が原と雪の多いところがあります。
足さて10月31日(土)に中山道・垂井宿の「菩提山402m」に行ってきました。
歴史のある街ですが私が低山としての「菩提山」を知ったのは最近でした。早速出かけました。史跡が多くご紹介が長くなりますので2回にわけてご紹介いたします。

菩提山・菩提山城跡402mと中山道垂井宿 その一
金蓮寺、春王・安王の墓(関が原合戦池田輝政陣地跡)、宮所寺跡、垂井の泉、本龍寺(芭蕉時雨庵)、八重垣神社(垂井祭)
くつJRがこの日大変込んでいてバッパックを背負った方が多く、JRの放送で「さわやかウォーキング米原は予定通り行います」ということでした。後から分かったのですが、この日その他にも「美濃路ウォーキング」というのも行われていたのです。
足駅のメインは北口ですが私は今回ちょっと歴史も訪ねたいので垂井駅南口に下りました。
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exclamation駅の案内板は取ってつけたようなもので私の行くところはありませんでした。
駅から狭い住宅街を5分ほど歩くと「金蓮寺」に着きます。

時宗・金蓮寺(こんれんじ)
21号線北・駅から5分
本足利持氏の遺子春王・安王兄弟の物語と木造があります。
このお寺は時宗ですが一般に余り聞きなれませんね。この宗派は、僧一遍が門下の僧尼を唐の善導にならって時衆と称したことから始まった宗派です。日本浄土教の一門です。阿弥陀経を所依とし平生を臨終と心得て念仏することとし、遊行・賦算・踊念仏を行います。
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本このお寺には鎌倉公方足利持氏の子「春王(しゅんのう)・安王(あんのう)」の謡曲にもなっているお話が伝わります。
もうやだ〜(悲しい顔)「春王丸・安王丸」は、鎌倉公方足利持氏の子供です。大変悲劇的な人生を送った子供達です。父親の持氏が「永享の乱」で自害した後、永享12(1440)年、結城氏朝に担がれ、「結城合戦」を起こし、室町幕府と戦いましたが敗れ捕らえられました。
嘉吉元(1441)年、春王丸・安王丸は京都に護送される途中、将軍足利義教の命により、ここ「垂井の金蓮寺」にて長尾実景によって斬られました。春王丸は13歳、安王丸は11歳だったそうです。
本永享時代とは、室町時代後花園天皇朝の時代(1429年から1441年)で、「永享の乱」は足利持氏が将軍職を望み、室町幕府に反逆し、これを諌めた上杉憲実をも除こうとし将軍義教によって討伐され1439年自刃した事件。
そしてその翌年の1440年六代将軍足利義教は子供を鎌倉公方として下向しようとしますが、それに対抗して、下総国の結城氏朝・結城持朝は春王・安王を擁立し反乱を起こします。これが「結城合戦」です。そして破れ春王・安王は命を落としてしまうのです。

夏草や 青野が原に 咲くはなの 身の行衛こそ 聞かまほしけれ (春王丸)
身の行衛 定めなければ 旅の空 命も今日に 限ると思へば (安王丸)


がく〜(落胆した顔)これでこの戦は終らずに戦火は飛び火して、最初に持氏を寝返っていた足利満直が結城氏支持の諸将に討たれます。果ては京都で祝勝をしようとしていた将軍義教が家臣の赤松満祐に暗殺されてしまう「嘉吉の乱」にまで至ってしまいます。
本南総里見八犬伝」は結城方で戦に参加した里見義実が死を決意した父と別れ落ち延びるところから始まります。
まだ朝も早いため境内は静まりかえっています。ここで二人の子供達はどんな思いで斬られたことでしょう。斬った長尾氏の方も恐らくやいい気持ではなかったのでしょうね。このお寺のお方たちも大変なことだったのでしょう。
くつお墓は別の所にあります。21号線を渡ります。このとき道路の南には「南宮神社」の大鳥居が見えますが、次回にまわして、国道沿いにあるきます。途中にみつけた史跡がひとつ。

県史跡・宮処寺跡(ぐうしょじ):21号線沿い
出土した瓦から奈良時代はじめに創建さた寺跡と推測されています。
ここは本当になんにもなく21号線の企業の網の塀にただ建っている案内板。
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くつそこからすぐに大きな看板に誘われ左手に入るとこんもりとした木々に囲まれたお墓。

春王(しゅんのう)・安王(あんのう)の墓と関ヶ原古戦場・池田輝政陣跡
場所:不破郡垂井町21号線・御所野交差点南
もうやだ〜(悲しい顔)ここに二人は葬られました。
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池田輝政はこのお墓の所に陣地を持ったのですね。葬られてから150年の歳月がたち、忘れられていたのでしょうか。普通、人のお墓に陣地はつくりませんよね。私にはそういった神経は分かりませんが、おそらくは、ぼうぼうと草の生えた地でお墓も殆ど分からない状態だったのでしょうね。
くつさて寄り道をしましたがこれから「菩提山」に向うため垂井の宿を横切ります。
最初に出会った史跡は「垂井の泉」です。

垂井の泉
場所:不破郡垂井町垂井、臨済宗・玉泉寺門前隣 駅北口から直接に来れば5分くらい

昔見し垂井の水はかはらねど、うつれるかげぞ年をへにける(詞花集巻10・藤原隆経)
葱白く 洗いあげたる 寒さかな (芭蕉)

ダッシュ(走り出すさま)県天然記念物・大ケヤキの根本からコンコンと湧いています。井口2u、「垂井の泉」の碑が建ち垂井の地名の根源となったところです。
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沢山の鯉が気持よさそうに泳いでいました。隣の玉泉寺は大変立派な門構えのお寺さんでした。
くつそこからは垂井の宿の町歩きが少し続きますがこれが意外と骨が折れるのです。
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宿といってもやっているのかやっていないのかわからない往来です。目印がなかなか見つからないのです。
眼鏡垂井宿お休み処(旧旅籠長浜屋)には観光用レンタサイクルがあり地図もあるとなっていましたが人がおられないようで全く静かでした。
そこでたった一人歩いておられた方に「芭蕉の時雨庵」をたずねてみるとすぐ目の先でした。

浄土真宗・本龍寺
町の中央よりやや西にあたります。
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金岩脇本陣の門は明治14年に移築されました。
芭蕉の時雨庵、芭蕉翁の木造は獅子門の化月坊が1855年に建立しました。

水嵐に 手をあて見む 一重壁 (規外)
四日五日の 時雨 霜月 (芭蕉)
作り木の 庭をいさめる しぐれ哉 (芭蕉)
いささらば 雪見にころぶ 処まで (芭蕉)


ペン時雨庵は中を見ることも出来ませんが大変質素な佇まいです。その横には所狭しと、歌碑がいくつも置かれていました。松尾芭蕉は大垣が「奥の細道結びの地」であったこともあり大垣への道筋に当たるこの中山道・垂井の宿には大変なじみも深く弟子になったり、その系列から俳諧を好む人々も多くあったのでしょう。
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くつ中山道から少し右に入ると「垂井祭」の行われる神社が垂井小学校の門の前にあります。
お祭りが賑わうのか曳き山が大きいからか広い広場が用意されて不思議な空間になっています。

八重垣神社
祭神:スサノオノミコト(素戔嗚尊)
例祭が5月に垂井祭といわれています。
3基の曳山は県有形文化財、総漆塗に蒔絵をほどこしたみごとなもののようです
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この上で子供歌舞伎が演じられ沢山の人々で賑わうようです。この垂井小学校の子供達が演ずるのでしょうか。その子供達の今は、どうも校庭でクラブのランニングに勤しんでいるようでした。さてここからが「菩提山」までは長丁場になります。明日ご紹介いたします。

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